講談社の広報誌『本』の9月号にマーク・チャンギージーという脳科学者の「『ヒトの惑星』はなぜ生まれたか」という記事があってその中に、
人類はもともと持つ脳の力を転用して文字、話言葉、音楽を発達させてきたのではないか、とある。
音楽は、人間が歩いたり、感情的なしぐさを示したりする際に建てる音と特徴が酷似していて、音楽のリズム、音高、音量は、身の回りで誰かが歩く時の足音の間隔、ドップラーシフト、距離変化に近い性質を持つ。
チャンギージーさんは、歩行音の独特な規則性の一つ一つに注目して音楽に同じ傾向があることを確認したと言う。
結論として、音楽とは、
「見えない架空の人間が、聴き手のすぐ前で、感情をこめて動き回っている物語」
なんだそうだ。
ダンスとは要するに、架空の登場人物に合わせて体を動かす行為で、音楽は動作音、ダンス時に生じる音そのものだから音楽を聴くと自然と体を動かしたくなる。
すべての音楽は舞曲である。あるいは行進曲であり、剣術と同じ動作の洗練である、とも言えるかもしれない。バロック音楽、特に舞踊組曲はそれをさらに洗練したものだろう。
ただ、チャンギージーさん、では、ハーモニーはどうなるんですか。
和声進行がリズムとは別な動きを曲に加え、色彩さえも加えるような、精妙な後期バロック舞踊曲は、単なる舞曲をはるかに超えている。
音楽は数学と同じく比率の世界であり、建築にも似ているのだけれど、歩く、つまり「たえず重心を移動させる」という動きや方向性、すなわち「流れ」を先取りすることはやはり絶対に必要なのだ。
一歩ごとに重力の反発を味わいながら、やはり常に「次の一歩のために心が少し前のめりになっている」という状態を維持することが大切だ。