子猫がうちへきてからひと月半になる。
「I」の年なので「Izou」(イズー)と名付ける。「いじゅちゃん」と呼んでいる。
母親はシャルトルーなのでグレーの猫。
歩いているのを見たことがない。
寝ている、食べている、隠れている、いたずらしている、狙っている、甘えている、などで静止状態になることはあるが、動いている時はいつも走っているか跳んでいる。
あるいはスピノザに飛びかかっている。組み倒されて咬まれたりするのだが、実は全然痛くされていないことは、起き上がってすぐにまたかかっていくことからもわかる。
真正面からでない限りスピノザは取り合わないので、オンブ状態になってずり落ちてしまうこともある。
スピノザは12年近く、一度も一匹だけで過ごしたことがなかった。最初は兄弟たちがいたし、うちに来た時にはマヤがいて、その後サリーと9年もいっしょにしっぽり過ごしていた。
3年前にサリーが死に、今年のはじめにマヤが17歳で亡くなった。
それから体をよく掻くようになって、かさぶたがあちこちにできた。毛艶も今ひとつ悪い。
ノミよけの薬はもう12年半も毎月飲ませているのだからノミではない。ブラシをかけてももちろんその兆候はない。獣医はアレルギーかもしれないと言った。
直感的に、子猫を連れてきたらことは解決すると思った。
正解だった。
全ては変わった。
人と猫という異種との共存も貴重だが、世代が多様化するのも大切だと思った。
今のスピヌーとイズーでは、いっしょに育ってきたサリーとのような「しっぽり感」はもちろんないが、スピヌーは明らかに若返って、自信を取り戻して(何の自信だ?)、毛並みも艶々、イズーに対しては、長老風味、なかよし親父、こわもての体育教師(体罰付き)、ワル兄貴、の役割を全部果たしている。
スピヌーがイズーを組み伏せると一応こちらはスピヌーの方を叱るが、その中にも、「ほら、あんたはお兄ちゃんでしょ、この子がどうしようもないのは分かるけどさ、そこはまあまだ子供なんだから、私たちも我慢してるんだから、協力してよ、」というニュアンスがあってスピヌーもそれをキャッチしている。
今さら子猫を飼って、この子がマヤのように17年も生きたら、面倒みられるのかとか、掃除が大変、片付けが大変とか、マイナス面も考えたが、「猪突猛進のおバカな子供」と共存する楽しさは想像を絶するものだった。
子猫を飼うのは12年半ぶりなので忘れてたよ。
みんながなごむので、こういうのを見てたら、人間同士で、血のつながりのない養子縁組だとか、白人が黒人の子を養子にするとか、文化の違いとか、についていろいろ悩むのはほんとうに馬鹿げているなあとつくづく思う。
私とは異種で、スピヌーとの血のつながりもなくて、この先自立する可能性もなく一生食べさせてやらなくてはならないことも分かっていて、それでいて、イズーといっしょに暮らすのを決めたことには「幸せ」しかないのだから。