エリック・ロメールの評伝が近く出版されるということで、今まで知らなかったロメールのいろいろな話題が耳に入るようになってきた。
彼はもと作家志望のリセの古典文学の教師で、カトリックで保守的な母親には彼女が死ぬまで、彼がずっと高校教師をしていると信じさせていたという。
有名な連作「六つの教訓話」も、もともと小説原稿をガリマールに持って行っても没になったので、映画にしたという。
カイエ・ド・シネマの映画評論でも有名になった人だが、他のヌーヴェルヴァーグの映画人たちとは一味変わっていたわけだ。
こういう話を聞くと彼のシナリオの独特さの秘密があらためてよく分かる。字幕の制約のある翻訳ではとてもニュアンスが分かるようなセリフではないといつも思っていた。
しかし、どちらかと言えば左翼系の知識人と交流していた映画監督というポジションですら、母親に隠していたということは、弟で哲学者のルネ・シェレールがホモセクシュアルの解放の最前線にいたことやリセの16歳の生徒と関係を持ったスキャンダルなど、家族はいったいどう処理していたんだろう。
その生徒は40代でエイズで死んだギイ・オッカンガムで、シェレールはその他にも子供のエロティシズムについて書いたりしているから、ロメールなどよりずっと「問題児」だ。
オッカンガムはヴェルレーヌの次に同性愛を世間にカムアウトした文芸人で、後にミシェル・クルスカール(Michel Clouscard)などがしっかり受け継いでいた68年世代知識人転向を批判した人だ。ネオ・リベラリズムに流されないこの種の人々は貴重だと尊敬の念を禁じ得ない。
ロメールの評伝のことからクルスカールをあらためて考えるとは思いがけなかった。