私がエピネットを手放してから、デジタル・チェンバロのローランドC30に切り替えると言った時、仲間たちは私がデジタルの手触りに満足するはずがない、とまるで裏切られたような顔をしていたものだ。
私は前にパリの音楽見本市でC30ではないがデジタルのエピネットを試奏したことがあるので、羽をはじく抵抗を感じるあの指の感触は心配していなかったけれど、確かにC30には「木」の手触りはない。でも今は、ピアノでもそうだが、長い目で見ると象牙の鍵盤もすかすかになるし、自然素材はなんでもそれなりに劣化するので、指の湿気などを受けつけない樹脂などの素材でも、慣れればあまり気にならない。
一番気になるのはむしろ三角形のフォルムが後ろに広がっていなくて、壁に対面する形で弾く空間の感じかもしれない。
いちいちふたを開けて調律したりばねの調節をしたりするという職人的な自己満足感もなくなったけれど、これに関しては、今まで、私の「時間がない」、「微妙な音律調整に必要なスキルがない」という2点でのハンディの方が実は大きかったので、それから解放されたメリットの方が大きい。
デフォルトがフレンチ・タイプの音色になっているのは便利。
古典調律は、私は基本的にVallotti を使う。
Meantone というのに切り替えたら、ルネサンス風というのか、私のフランス・バロック耳ではかなり苦しい。三度音程がきれいなのはちょっと感動するけれど、五度をきれいに聴くことに慣れているからかもしれない。
WerkmeisterとかKirnbergerを試すと、シャープ系の調性(Dメジャーとか)はきれいに響くけれどフラット系(E♭メジャーとか)は私の耳には美しく聴こえない。
残響をカットしてリュートでバッハの平均律を弾くとかピアノフォルテでモーツアルトのソナタを弾くとか試して楽しんでいたのだけれど、オルガンは試していなかった。
するとトリオのHが来てオルガンを弾いてみて、その性能に感動した。
以来、ヘンデルのパサカリアのヴァリエーションを何度弾いても飽きない。
音量を上げ、残響をマキシマムにしてバッハのトッカータだとかを弾いて最後の和音を思い切り長く押してから指を上げると、本当に石造りの教会の天井に音が吸い寄せられるようにして消えていくのとそっくりな消え方をする。あまり気持ちがよくて、何度もやってしまうのだがほとんど悪趣味のカタルシスかもしれない。
公証人事務所と接している壁のところにおいているから、大きな音をたてても迷惑がかからない。
こうなると、奥行きのない楽器で弾いているなどという感覚は吹っ飛んで、スイッチを入れると即大聖堂にワープというわけで、ぜいたくも極め付けだ。
うちにはもう四半世紀近く前の、当時はなかなかすぐれものだったヤマハのシンセサイザーも健在なのだけれど、いやあデジタルの世界の進歩にはあらためて驚かされる。こういう時、やはり日本製品のすばらしさに感謝できるのも嬉しい。