ウクライナ問題についてロシアが侵攻したはじめの頃にフランスの外相ファビウスがテレビのインタビューで口にしていたことのひとつがすごく印象に残ったのを忘れないうちに書いておく。
それは、ウクライナは冷戦終結時において世界で3番目に多く核兵器を保有していた地域だということだ。
で、冷戦後のソ連崩壊で「独立」するにあたって、「英米露」の3ヶ国がウクライナの国境を保障するという条件でウクライナは非核三原則を決議し、すべての核兵器を廃棄することになった。
調べてみると、1994年12月のブタペスト条約で、1996年に最後の核兵器が廃棄のためにロシアに送られたという。
2003年にハーヴァードのRobert Stephen Mathersという人が、ウクライナの核兵器廃棄について、アメリカにが獲得した平和的核兵器廃棄の模範となるサクセス・ストーリーだと書いた。冷戦時代ウクライナの核ミサイルはすべて西側世界に向けられていたからだ。
今回のロシアの行動は、このブタペスト条約に明らかに反しているわけだ。
当時もウクライナで核兵器の廃棄に反対していた人たちがいた。ロシアとの過去の確執を鑑みても、核兵器を保持することがロシアに対するこれからの抑止力になるとしたのだ。
だから英米が今回のロシアの行動を看過するとしたら、「抑止力」としての核という冷戦時代の考えを再び正当化することになる。中国や北朝鮮の威嚇に対して核武装を唱える日本のタカ派にもけっこうな口実を与えることになる。英米は必死でブタペスト条約の有効性を証明しなくてはならない。
それにしても、1994年の時点で、ウクライナの「国境」の保全を約束したのが英米露の3ヶ国だったんだなあというのは感慨深い。
抑止力の観点からフランスもド・ゴール時代に核兵器を開発したのだが、アメリカがもちろん一番早く、、ソ連が1949年でイギリスが1952年で、フランスは少し遅れて1960年だった。
つまり、ブタペストの合意の時点でウクライナはイギリスよりも多くの核兵器を保有していたが、国境の保全を約束したのが英米露の3ヶ国でフランスは入っていないということは、「核兵器保有の早い者」順が「権威」を持っていたということだ。
もう一つ考えざるを得ないのは1986年のチェルノブイリの原発事故だ。やはりこの事故のトラウマと罪悪感があったから、結局核兵器も廃棄するという方針が採用されたのではないだろうか。少なくとも無関係だとは思えない。
まあ「フクシマ」の事故が収束していなくても核武装を唱える日本人がいるのだから、「核兵器と原発は別」という確信を持っている人がいるということだろうけれど。
フランスは大型の戦艦2隻をロシアから受注していて、情勢によってはその取引が中止されることになって経済的打撃も大きいのだが、それでも、いざとなると実力ででもウクライナのロシア軍と対峙するような強硬姿勢を見せている。
まあ、核兵器はともかく原発の数ではロシアやイギリスや日本も抜いてアメリカに次ぐ世界2位の「原発大国」のフランスだから、今回は、ブタペスト合意で「核大国」のグループに入れてもらえなかったひそかな悔しさを解消するチャンスだと思っているのかもしれない。