ドゥブロヴニクで感慨深かったのは、「戦後」の実感だ。
1991年から92年にかけてのユーゴスラビアの内戦で、この城塞都市も爆撃を受け、多くの犠牲者も出たし、戦死者も出た。
しかしユネスコの世界遺産に登録されたことも手伝って見事な復興を遂げ、観光都市として再生した。クロアチアは2013年にEUに加盟したし、カトリック文化圏であったことも幸いして、いち早く「西欧」化できた。
ドゥブロヴニクの旧市街は特に城塞都市であるから、観光客はおしかけても、すりなどの「よそ者」が出入りしにくい。地元の人は皆互いに顔見知りだろうし、観光産業で経済を支えているのだから、その質の維持や向上に熱心だ。その結果、パリなどよりはるかに治安がいいと言える。
しかし、戦争の惨禍を伝える写真や戦死者の肖像写真などを見ていると、それがたった二十数年前の出来事だったことに驚く。今ホテルやカフェやレストランや土産物屋で働いているあの人やこの人も、30歳以上の人ならみな戦争を体験し、爆音を聞き、死者を見、瓦礫の後の復興も見てきたわけだ。
フランスで私の住んでいる町も1944年に米軍の爆撃でかなりのダメージを受けた。
私の住んでいる建物は1880年代の建物で焼け残ったものだけれど、壊滅に近い区域もあったようだ。
そして、フランスはアルジェリア戦争などは別として、その後「本土」では70年間戦争がなく、それは日本も同じだ。
私の小さい頃は周りの大人はすべて戦争体験者だったわけだが、「戦後」の実感はあまりなかった。私の記憶にある日本の町にはもう「焼け跡」などなく、いつもこぎれいだった。身近に地震などの災害もなかったので、「被災地が復興した」という過程を実際に見たこともない。
ドゥブロヴニクは中世に栄え、17世紀の地震で壊滅した後で復興し、20世紀末にダメージを受けてまた復興した。
その町は宮崎アニメの舞台のモデルになったほど、テーマパーク風で味わいがある。
この町のたった20年での再生ぶりに、戦争と戦後というものを考えさせられた。
私の若い時に日本でも戦後何十年だとか、もはや戦後ではない、とかよく言われてきた。しかし自分が若かったので10年や20年というのがとてつもなく長い期間に思えたから、戦争ははるか過去の話に思えたのだ。
たとえば戦後20年と言われても、その時の「20年」は自分の人生の大半を占めるような長さだったから、「復興していても当たり前だろ」という感覚があったのだと思う。
でも、今の年になると、「20年前なんてまだほんの少し前」という感覚だ。
1991年というと、今と同じ快適な暮らしをしていた。
そんな時にすぐ近くの東ヨーロッパでは内戦が繰り広げられていたのだなあとあらためて思う。
その頃からすでに争っていたパレスティナはいまだ内戦が生々しい。
旧共産圏でもウクライナなどでは内戦状態が現在進行形だ。
そんな中で、ドゥブロヴニクはよくここまで復興して観光都市になった。
旧市街の規模が小さく、本当にテーマパークのようなまとまり具合なので、そこでがんばってきただろう「地元の人」の顔が見えるからよけいに感慨深い。
そのせいか、ドゥブロヴニクのホテルのテレビでパリ解放70周年のセレモニーの様子を見た時も、そのことに今までと違う重みを感じた。
ドゥブロヴニクの人たちの表情を通して知った戦禍と復興の実感は、私にとって戦争と戦後という歴史の視座が変わる補助線のようなものだったのかもしれない。