フランスには「国家の被後見人」という制度がある。
私のバロック・バレーの友人で被害日本大震災のチャリティーコンサートでも踊ってくれたエマニュエルも父親が空軍で戦死または事故死(?)して国家の里子認定を受けた人で、子供たちのためにバロックの「踊れる森の美女」という物語をボランティアでやっている。そのつながりのネットワークは密なようだった。
それについてのドキュメンタリー放送を見て感心した。
第一次大戦の1917年7月に戦災孤児を救うために発足した制度で、第二次大戦、植民地戦争、その他殉職警官の孤児も含み「国のために死んだ」親の孤児だという裁判所の判定により「国家の被後見人」となる。出生証明書に「国家によって養子とされた」と記入される。
子供には2年に一度外套が支給されるなど物質的援助もあるし、必要なら優先的な養子縁組も得られるし、彼らのための教育機関もある。グルノーブルの全寮制中高一貫の空軍士官学校はその後各種グランゼコールにも進める。「国家の里子>現役軍人の子弟>民間航空事故の孤児」の順で優先権があって、生徒の70%を占める(後は司法官の子供、他の奨学生など)。
日本的な感覚ですごいなあと思ったのは、例えば第二次大戦の末期のノルマンディなどでアメリカ軍の空襲の犠牲になって死んだ民間人の子供たちも皆認定されていること、ロシアからフランスに亡命してきた後で母親がアウシュビッツに送られてしまった姉妹たちなどフランス国籍を持っていなかった子供にも適用されていること、などだ。 警察官の父を失ったある少年は、カリブ海にあるフランスの海外県であるマルチニク出身の黒人の父親と旧植民地からの移民であるアルジェリア人の母を持つが「フランスの子」として保護されて「すごーくフランス人」だと感じると言っていた。旧仏領インドシナ出身の女性もフランス人家庭の養女となった。
日本にも殉職者の家族にはいろいろな保障制度があるのだろうとは思うけれど、第二次大戦による多くの戦災孤児は、もちろん日本が敗戦国で占領されていたこともあるけれど、手厚く支援されたわけではないだろう。
カトリック系の修道会が養護施設をつくったり、そこに進駐軍が寄付したり、混血孤児を世話して学校まで作ったことで有名な聖公会系のエリザベス・サンダースホームがあったりしたのは知っているけれど、「国」がどこまで手を差し伸べたのかは知らない。
ましてや旧植民地の被害者は無視されたのだろう。
軍人ですら、連合国から「戦犯」のレッテルをはられて処刑されたら、他の戦死者と合同の慰霊を忌避されかねない空気だし。
敗戦国のドイツやイタリアの戦災孤児はどうだったんだろう。
こういうところに意外に国民性の本質が見える気もするので、いつか調べてみようと思ってここに覚書しておく。