ひとつ記事を書こうとしてPCを開いてニュースをながめたら、数時間前に、週刊風刺新聞の『シャルリー・エブド』が「預言者の復讐」(2006年にムハンマドの風刺漫画を転載したことですでに脅迫され、2011年に事務所の放火テロ攻撃を受けていた)と叫ぶテロリストに襲われて、(会議中であった?)Charb、Cabu、Wolinski 、Tignous などが殺されたとあった。
この人たちの名を目にしただけで不覚にも目頭が熱くなったことに自分ながら驚いた。
昨今のテロリズムやイスラム国の暴挙、家畜用の船に乗せられて大金を払ってシリアから大量に逃げてきたのに途中で見捨てられる難民の話などひどいニュースは毎日のように目にし聞かされて、その度にショックを受けているけれど、すぐに涙が出てくるなんて初めてだ。
もちろん彼らを個人的に知っているわけではないけれど、彼らの作品はいろいろな雑誌ですべて定期的に目にしていて、その切り口にいつも目を開かれる思いや、すっきり気分を味あわせてもらっているので、その彼らがいっせいに殺されたというのは信じられない。
彼らが消えたというだけで、この国の最も大切なコアの一角が崩れた気がする。
言い換えると、彼らの表現の力がいかに大きかったのかということだ。
テロリズムや犯罪に巻き込まれて誰が犠牲になってもその重大さは変わらないけれど、表現の自由のためにリスクを冒しながら戦っていた人々を失ってはじめて彼らが与えてくれていたものの大きさが分かる。
殉死のインパクトとはまさにこのことだろう。
Charb、Cabu、Wolinski 、Tignous らの意志を継承する表現者が奮起してくれることだけがこの事件への正しい答えなのだと思う。
(これを書いている時点では犯人はまだ逃走中)
追加 : 速報を見ていたら、もう別のカリカチュア作家が
抗議の漫画をアップしていた。
鉛筆は銃で消しゴムは手榴弾でペンはカラシニコフだとでもいうのか?
という感じだが、書くこと、描くことが暴力や不正に対する最大の抵抗、攻撃、脅威となることをあらためて考える。
他にも続々怒りのカリカチュアが出てくる。最高の追悼だ。
パリ・マッチ誌でも毎週読めるヴォランスキーはなんともう80歳だったそうだ。
ペンで戦う80歳にもっとがんばってもらいたかった。
追加 :
オーストラリアの風刺画家による作品も出た。「向こうが先にしかけたんだ」とテロリストが言っている。drewの掛詞。ネットのおかげでリアクションがどんどん出てくるのは痛快だ。