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L'art de croire             竹下節子ブログ

パリのテロ事件について  その5

もう書くのをやめようと思ったけれど、今朝のラジオでジャン・ドルメソンが話していたので興味を持った。
テレビでは同じような画像ばかり流していて情緒的な表情ばかり見えるので情報の絶対量やオリジナリティはラジオの方が多い。

ジャン・ドルメソンJean d'Ormessonはパリ解放も体験している89歳で、王党派、貴族、カトリックのルーツがあるアカデミー・フランセーズのメンバーでありながら、今や国民的に広い層から信頼されている賢人的ポジションにいる人だ。

今度の事件で、多くの人がフランスにおける表現の自由の伝統についてヴォルテール(寛容論の著作があり、たとえ自分と違う意見の人でもその意見を述べる権利を自分は死守すると言った)を例に出すのだけれど、ドルメソンは、風刺の伝統として、シャルリー・エブドのように猥雑なものも含めて、フランス人はラブレーとボーマルシェの子孫である、と何度も強調した。

レジスタンスとリベルテール(主流秩序による制限を否定して絶対自由を標榜する)がフランスだと。

結局午後の行進にはイスラエルとパレスティナの首脳まで含めて50ヶ国もの代表が参加することになったので、パリは厳戒態勢である。
それもこれも、フランスの掲げるユニヴァーサリズムが国際的に理解されていて、フランスに仕掛けられたテロは「人類」に仕掛けられたテロだと全世界が認識しているのだ、と、メディアは高揚している。

行進に参加するかどうかのアンケートでは81%のフランス人がウィと答えたそうだ。

一方で、シャルリー・エブドの「生き残り」のカリカチュア作家の一人は

「政治的に利用されるのが我慢できない、自分はサルコジやメルケルと握手など考えられない」

と言ってパリを離れて地方の行進に参加すると言う。最近になって警備も軽くされ、六万部の赤字発行で、廃刊寸前の綱渡りを強いられてきたシャルリー・エブドの口惜しさが伝わってくる。

シャルリー・エブドのカリカチュアを転載したドイツの新聞社も昨夜放火された。ドイツからフランスの行進に参加する人のために運賃を半額にした交通機関もある。

この盛り上がり方は、ドルメソンによるとパリ解放の依頼で、68年5月革命を上回る、 と言う。

メトロの中やアカデミー・フランスセーズの中でも黙祷があったそうで、「アカデミー・フランセーズがシャルリーのために黙祷した」ことの意味の深さをかみしめるドルメソンは、この盛り上がりが後でスフレのようにしぼまなければいいが(この比喩がフランス的だ)、と懸念していた。

一方、アンケートで「行進に参加しない」と答えた人には何種類かあって、

「ムハンマドを揶揄したシャルリーに『私はシャルリー』などという共感をしたくない」というべたな反発、

「政治家たちに利用されるのが不愉快だから」というもの、そして

「アンチ・コンフォルミズムの精神から」というものなどがある。

普段は互いに無関心だったり批判しあっていたり反目しているような人々が「危機を前にして団結する」というお話は美しい。そういう形の危機管理のリアクションがDNAに組み込まれているからこそ私たちは何とか生き延びてきたのだろう。

「東日本大震災」の後の「絆」なども思い出してしまう。

でも、9・11の後も、アメリカのことを、「危機が起きると国内が一致団結して政権の求心力が高ま」ったという言い方があるが、この「政権の求心力」というのが別の危機になる場合もあるという気がする。
「挙国一致」というやつだ。

まあアフガニスタンだの中東やアフリカだのにまで出て行って戦争を仕掛けたりするよりは、「自分たちよりも大きな理想」を掲げてそれをテロリストに見せつけるという方針は大いに意味があると思う。

どんなものでもそうだが、「サイレント・マジョリティ」の良識というのはなかなか表には出ない。
過激なスローガンやプロパガンダばかりが喧伝されて、下手をすると若者を惹きつける。

共和国の自由・平等・共生の理念は、普段は強烈なスローガンにならない。フランスはアメリカのように国旗掲揚や国歌斉唱や忠誠の誓いを一般人に強制することがないからだ。

多くの人が集まることでそれを形にするのは、自覚においても、テロリストによる挑発の答えとしても貴重な機会である、

ウェブのハッカー集団アノニムスがテロリストのネットワークを徹底的に破壊するという感じのヴァーチャルな宣戦布告をしたので、おお、そういう手があったか、と一瞬期待したが、それをやられると安全保障のための危険人物監視や諜報活動に支障をきたす、と当局が困惑しているという話もある。

難しい。

即効ではないが、長い目で見てやはり最も大切なのは「教育」だと思う。
これについては考えていることがたくさんあって、私なりにずっと実践してきているのだが、それはまた別の機会に書こう。

朝の諸宗教者対談番組を観た。こういう場所でいつもただ一人の女性である義妹だけがファーストネームで呼びかけられていた。

ユダヤ教、イスラム教、プロテスタントの代表がいて、三つの一神教はアブラハムが息子を犠牲に捧げようとしたのを救われたところに基盤を持つ兄弟であるから、「人を犠牲に供する」ことを否定することから始まった画期的な平和宗教なのだ、と言っていた。

仏教は勘定に入っていないな。

義妹は、

リスペクトが大切、それは自分に対するリスペクト、他者に対する、環境に対するリスペクトだ、

と言い、それを受けて「リスペクトするには容認が必要で、容認には識ることが必要で、識ることは愛することなのだ」とまとめられていた。(「認める」というフランス語の中には「識る」という言葉が含まれている)

合間に、各宗教のテキストが映し出され、

「あなたが誰かに向かって手を挙げればそれだけであなたは不信仰者だ」というタルムード、

「あなたが誰かを殺せばそれは人類すべてを殺すのに等しい(宗教を殺す、だったかもしれない。要確認)」というコーラン、

「神を愛するという人が、一方で兄弟を愛していないならその人は嘘つきだ」という聖書など、

それぞれの代表者が選んだのかテレビ局が選んだのか知らないが、宗教の名のもとに暴力を行使する輩にはぜひ読んでほしい。

その中で「愛と慈悲は一つの宗教である、愛は普遍的宗教である」という感じのダライラマの言葉があったが、いつもながらダライラマってかなりキリスト教起源の啓蒙テイストの人だなあと思った。
仏教が「超越をたてない無神論哲学」だと伝統的に認識されているフランス向けの言葉としては正しい言葉だ。

と、ここまで書いて、午後3時になったので、「歴史的行進」のTV中継を観ることにした。

7/14のシャンゼリゼの軍事パレードなど比べ物にならないインパクトだった。

これだけのVIPが、完璧に警護されているとはいえ、腕を組んで大通りをただ「歩く」という光景はシュールだ。

今世界の主要国の首脳はみな第二次大戦の体験がない世代だから、ここに集まったのは「新しい戦争」への決意である。

まあ、いわゆる「民主主義国家」でない国の代表もいるのだからみなが「言論の自由」のために歩いているのではなく「テロとの戦い」のために歩いているわけだ。プーチンがいなくて残念。(ロシアとウクライナの代表はいたが)

(追記:オランドの隣がメルケル首相というのは予想できたが、右隣がマリの大統領というのは金髪女性と黒人男性のコントラストが目立った。

マリは評判の悪いオランド政権で唯一、2年前にマリからの要請で軍隊を出してテロリストの南下をくいとめたというタカ派的「成功」体験のある国だ。

旧植民地でフランス語が公用語であり、イスラム教が多数派だ。
2年前にマリ政府から「救世主」のように感謝された様子は「フランスの偉大さ」を示す貴重な図であった。

マリ大統領を隣に並べたのは、フランスのユニヴァーサリズムと、ヨーロッパとアフリカという組み合わせで広がりを演出する意図があったのだろう。

もう一つ、今回ユダヤ人を殺したテロリストは黒人でマリ移民の二世だった。そういうところにも配慮したのかもしれない。)

一方、イスラエルのネタニヤフ首相はフランスのユダヤ人に、

「君たちのホームはイスラエルだ、フランスを去ってイスラエルに来なさい」

というメッセージを発したが、フランスの大ラビは、

「私はフランスで生まれ、フランス語を話し、フランス語で夢を見るフランス人だ。いつの日か『フランスのユダヤ人のように幸せだ』という表現が生まれることを願う」

と表明したそうだ。

今日のような日に、フランス市民である前にユダヤ人である、などと言うはずはない。
(と言っても、日曜夜のパリのシナゴーグでの追悼セレモニーの後では、4人の犠牲者はイスラエルに埋葬されることになったそうだ)


犠牲者の家族とVIPの行進のために足止めされていたのでレピュブリック広場に集合した人たちは1時間半経っても一歩も動けなかった。

マリアンヌの像の台座に上った若者たちはマルセイエーズを歌っていたが、フランスの旗だけではなくいろいろな国の旗が掲げられていた。ブラジル、レバノン、イスラエル、クルドなどだそうだ。

これまで大きな政治デモは政府に対する抗議や要求だからみながパリに出てくることが多かったが、今回は共和国理念を表明すると言うことで、地方でのデモも多く、各地で90万人が集まったということだ。

鉛筆を掲げたり、大きな鉛筆フィギュアを掲げたり、「表現の自由」用語がやはり目立つ。

犠牲者の関係者が行進している光景はやはり見ているだけで涙が出てくる。

シャルリー・エブドの現場から直接オランド大統領に電話した救急医(シャルリー・エブドに記事を書いている)とオランドが抱き合っているのも心が動かされる光景だった。公式のものではないこの連絡によって、オランドがすぐに現場にかけつけたのだ。

携帯電話の時代ならではのエピソードである。

この抗議運動がここまで広がったのは、二つの理由がある。

ひとつはシャルリー・エブドがもともと左翼の雑誌であり、サルコジなどには猛烈な攻撃を仕掛けていたので、社会党とは親和性があるということだ。オランドもシャルリーのジャーナリストを個人的に知っていた。その社会党政権下のできごとだった。

もう一つはジャーナリズムが標的になったことで、御用メディアや右派メディアも含めて、メディアの人間にとって「他人事」ではなく、「表現の自由」「報道の自由」を守るために報道が過剰とは言わないまでも、増幅したことである。

木曜までは犠牲者は「警官」と「ジャーナリスト」だった。

本来シャルリー・エブドも含めてジャーナリズムは主流秩序批判の使命を帯びているので、秩序のシンボルである警官の側に立つ人とは別のグループにいるのだが、この事件では一致した。

金曜日にユダヤ人が標的になったことで政治的なテンションは高まってやや微妙になりかけたが、土曜日に感動的なシーンが放送された。

ユダヤ人4人を殺したアメディ・クリバリはマリからの移民の二世の黒人だ。イスラム国の名でビデオ・メッセージも残している。ところが、水曜に別のテロリストに殺された警官の一人がアメド・メラベという名のイスラム教徒だったのだ。

土曜日に、アメドの家族が、

すべての差別主義者、反イスラム者、反ユダヤ主義者に告げる、戦闘開始したりモスクやシナゴーグを攻撃したりするのをやめろ、死者は帰ってこない、他の人を攻撃しても、犠牲者は戻ってこないし家族が慰められるわけではない

と記者会見で訴えた。

40歳のアメドは昇進試験に合格したところで、11区の勤務は最後の日だったという。

このアメドとテロリストのアメディの名は発音が似ている。

どちらももちろんクラシックなフランス風の名ではない。

で、「アメディ=テロリスト」と刷り込まれそうになった時に「アメド=ヒーロー」が上書きされた。

そして、ヒーローのアメドはアルジェリアからの移民二世のムスリムだ。

シャルリー・エブドを襲ったテロリスト兄弟も、アルジェリアの移民二世のムスリムである。

木曜にそのプロフィールが公開された時は、昔ながらの

「アルジェリア移民の二世=犯罪者、あるいは監獄で洗脳されたテロリスト」

というステレオタイプの偏見を呼び覚まされた人も多かった。

ところが、同じ社会的立場にありながら、

一方は警官になり昇進試験にも合格し、共和国の公務員として殉職した。

もう一方はテロリストになリその警官を残忍に殺した。

この事実が、

「フランスにおけるテロリズムの問題は移民の問題でもイスラムの問題でもない」、

という認識を人々にきっちりと促した。

みんなが情緒的になって興奮している時に、人種や宗教にかかわるヘイト・スピーチを効果的に封じる偶然の出来事だった。

しかもこのところ雨もよいで寒かったのが、日曜は晴れ間さえ出て暖かかった。

家族連れも多かった。

無事に終わってよかった。

広場を埋め尽くす人の波をテレビで見ながら、これが日本なら、安全のための警戒だけではなくて地震が起きた場合も想定しなくてはならないのでは・・・と連想してしまった。パリでは少なくともその心配がないから助かる。

実はフランスでは昨年末からいろいろな物騒な事件が起きているのだが、メディアもなんだか「見て見ぬふり」の風潮があった。

今回は前述したような様々な要因が手伝って、

「フランスのユニヴァーサリズムや理念はテロを許さない」

という決意をひとまず市民が表明したわけだ。

何か本質的な変化に結びついてくれたら、と思う。
by mariastella | 2015-01-12 03:50 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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