ユーモアと冒涜について
シャルリー・エブドがすっかり有名になったので、日本人でもそのカリカチュアを目にする人が多くなり、
「全然笑えない」 「テロリストはユーモアを解さない、という言い方はいかがなものか」 などという声が伝えられたので、一言だけ書いておく。 まず、前にもふれたがシャルリー・エブドは無神論イデオロギーのシンパ新聞なので、「宗教」全部を揶揄することが基本にある。 フランスの歴史的文脈のせいで、最も下品に傷つけられているのがカトリックであり、これも歴史的文脈のせいで最も忍耐強いのもカトリックだ。 それでも聖職者の小児性愛スキャンダルの後でベネディクト16世が少年を虐待しているカリカチュアが出た時は名誉棄損で訴えた団体がいた。 でも斥けられた。 フランスで最も政治的に神経質に監視されているのはこれも歴史的文脈から、ユダヤ人差別であり、「カトリック差別」というのはテーマでないからスルーされる。 それに、たとえ「ユーモア」が伝わるとか伝わらないとかでも、シャルリー・エブドは金を払って購入する新聞だから、公共の場で無理やり目にすることを強要されるものではない。その手のユーモアを面白いという人が読者であればいいことだ。 殺された画家の親友でカトリック雑誌の編集者は 「私はシャルリー・エブドに笑わされたことは一度もなかったけれど、むしろ不愉快だったけれど、今回は泣かされることになった」 と書いている。 笑いのツボは外れても、信念に従って書き続けていた人の非業の死には皆が泣く。 知られていないかもしれないが、シャルリー・エブドの内部でも激しい意見の対立があって、それが訴訟にまで発展したことがある。2008年に、時の大統領サルコジの息子の結婚についてユダヤ人を不当に揶揄したカリカチュアについてだ。この対立で共同創立者の一人が出ていった。 2012年に預言者の絵を一面に掲載してすぐに編集部が焼かれる前も、リスクをとることに反対した人たちがもちろん内部にいた。 フランスでは実は旧体制の終わりにはすでにカリカチュアその他による「冒涜(王や聖職者に対して)」が事実上罰されることのない時代があった。 それが、明文化されたのがフランス革命後の人権宣言である。 さらに、1881年の報道の自由法がそれを固め、 1905年の政教分離法によって強化された。 想定されてきたのは当然カトリック教会だ。 想定外だったイスラムの問題は、ユーモアが分かるかどうかだとかいう以前に、「預言者を描いてはならない」というイスラム法に反するということがある。 で、そのイスラム法を、非ムスリムに対しても適用するのかどうかと言うことだが、一般的に援用されるハディスによれば「イスラムがマジョリティの場所においては非ムスリムにも適用する」ということになっているとあった。 それが事実なら、ムスリムがマジョリティでないヨーロッパで非ムスリムが描くものについて、名誉棄損で訴えることはできても、罰すること、実力で制裁することはできないはずだ。 逆にそのことをもって、 「フランス国内の普通のムスリムが穏健でありジハディストを糾弾しているのは、彼らがフランスでマジョリティではないからであり、もしマジョリティになれば過激派と同じことをするだろう」、 などと言いだす人がいる。 でも、若くして亡命したダライ・ラマが、すっかり民主主義で政教分離主義者になっているのを見ても、フランス生まれやフランス育ちの「普通のムスリム」が「普通の共和国主義」を表明するのは自然だと思う。 水曜の国会では議員たちが黙祷し自発的に国歌(この曲が革命由来のもので勇ましいのはいいとしても、歌詞に「不浄な血を地に流せ !」というのがあるのはさすがにまずい)を歌い、その後のヴァルスの演説でイラクの仏軍駐留を延期するという提案が与野党区別なく可決されてしまった。 その時たった一人だけ反対票を投じた野党の議員は、「正義ぶるならなぜウクライナを無視するのだ、恣意的に決めて軍隊を出すのはおかしい」とインタビューに答えていた。。 フランスはマリやイランでイスラム過激派と戦っているせいでテロの標的にすると宣言されているのだから、私もエゴイスティックでチキンな小市民としては 「軍隊など全部引っこめればいいのに、そしたら少しは安全かも」 などとちらと思ってしまうが、中東やアフリカ(これはナイジェリアのボコ・ハラムもそうだ)で残虐の限りを尽くしているテロリスト集団のことを考えると、このままでは世界中が恐ろしいことになる、とは真剣に危惧する。 同じ日に環境相が新型原子力発電所を建設することに合意する発言をした。 これも衝撃的だ。 次の世代はどうなるのだろう。 フランス語では戦いをあきらめてしまうことを 「腕を降ろすbaisser les bras」 と言う。 日本語の「お手上げ」と似た意味なのに動作が反対だ。 これはシャルルマーニュ大帝が決めた一種の神明裁判で、柱に縛られた容疑者たちが十字架にはりけられているように両腕を水平に上げた姿勢で耐え、最初に降ろした者が犯人とされるといったものに由来しているらしい。そのやり方は十字架のパロディで「冒涜」だとして聖ルイ(ルイ9世)王が819年に廃止したという説もある。 真偽は分からないがこの表現は今もよくつかわれていて、テロ事件以来多くの人が「とことん戦い続けなくてはならない」という意味で「腕を降ろしてはならない」を使いまくっている。 フランス国外を見ても国内を見ても「お手上げ」の状態なのに、「腕を降ろさずに」戦うというのは、皮肉だ。 これまで軍隊を派遣せずにすんでいた日本は、「お手上げ」になる前によく考えてほしい、と思う。
by mariastella
| 2015-01-16 02:17
| フランス
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