翻訳について
翻訳について
ジイドは80歳になってロシア語の勉強を始めた。 ドストエフスキーの本質はロシア語に宿るのではないかと思ったからだ。 『悪霊』の訳が『Les démons(悪魔たち)』か『Les possédés(憑かれた者たち)』の二種類あって、そのタイトルだけで読者の魂の向き方が変わると思ったのだ。 でもロシア人の文学者には、フランス人のドストエフスキーに対する高評価の多くはフランス語訳の質の高さによっていると強調する人たちがいる。 彼らに言わせると、ドストエフスキーのロシア語はトルストイ、ゴーゴリ、プーシキンにはるかに及ばない。 フランス人もゾラについて同じようなことを言う人がある。 バルザックやユゴーの場合も同じことが言われがちで、これらの作家が外国で高い評価と人気を博していても、ラシーヌ、ヴェルレーヌ、マダム・ド・ラファイエット、プルーストのフランス語には及ばない、と。 オーストリア人のリルケはフランス語で書くことを愛していたが、「完璧を求めるこの言葉」の難しさを認識していた。リルケの残したフランス語の詩の評価は低い。 上田敏によるヴェルレーヌの翻訳詩や日夏耿之介によるポーの翻訳詩や斎藤磯雄によるリラダンの翻訳文学が優れているのは、彼らの「翻訳術がうまい」のではなくて彼らの「日本語能力」が優れているからだ。 逆に言えば、日本語の感性や美意識さえすぐれていれば、原作が平凡な作品でも錬金術のように変質させることができる。 私がフランス語を普通に読めるようになってから分かったのは、たとえ自分ですばらしい文を書けなくても、すばらしい文のすばらしさはそのまま理解できるということだ。 脳内翻訳という手続きはまったく必要ない。 読んだフランス語の日本語訳を目にしたら、今度はそのまま日本語脳でキャッチするのでまた別の世界だ。 もちろんフランス人でもフランス語の鑑賞能力に差はあるのは、日本人でも日本語の鑑賞能力や読解力が人それぞれ違うのと同じだ。 「詩」のように「文法」の決まりごとや「語彙」の意味以外の多くのものから成り立っているのではなく、演劇のように人間性のドラマのストーリーが中心になっているものについては、それでも、原作の世界に翻訳の世界がかなり近づけるものがある。 Jean-Luc Jeener の新作『アルツハイマー』を翻訳したいと思うようになってから考えていることを書いてみた。 私たちは認知症になった親しい人をそうでない時と同じように愛せるのだろうか、 いや、たんに、親しい人が老いて衰えた時に、愛し方が変わらないだろうか? ウェブの世界などでは、人について「劣化」などというモノについての形容がよく使われている。 「人」は「劣化」した時点で「共に生きる」ことから脱落するのだろうか。 他者が「勝手に」「劣化」していくときに、私たちは彼らを捨てる、あるいは二級カテゴリーに入れてしまう罪悪感から逃れようとして、むしろ親しい他者の方が「共に生きるべき人生」という戦線から勝手に離脱したのだ、自分たちは捨てられた、裏切られた、という思いを抱いてしまうのではないだろうか。 そんな風に、残される人を顧みずこの世から去っていく時、「死ぬ」のはいったい誰なのだろうか? 季節も日も分からず、同じ時を生きず、わが子に「あなたはどなた?」という不可解な他者が死ぬのだろうか? 「魂は永遠に」という「魂」はすでに「劣化」か「崩壊」していて、肉体の死の後で復活するのだろうか? そのような問いを前にカトリック劇作家が試みた答えはどういうものだろうか?
by mariastella
| 2015-01-18 21:28
| 雑感
|
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 未分類 検索
タグ
フランス(1117)
時事(633) 宗教(491) カトリック(459) 歴史(267) 本(221) アート(187) 政治(150) 映画(144) 音楽(98) フランス映画(91) 哲学(83) コロナ(76) フランス語(68) 死生観(54) エコロジー(45) 猫(43) フェミニズム(42) カナダ(40) 日本(37) 最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||