久しぶりのドイツ映画で、しかもホロコーストのすぐ後のベルリンをこんな風に扱っているのは珍しい。
原作はフランスの小説でドイツ人のものではない。原作は『灰の帰還』というもので、これが火で身を焼いて生き返るフェニックスに関係している。
原作と違うのは性的なシーンがまったくない所だそうだ。それが強靭なサスペンスを支えている。
アウシュヴィッツから奇跡的に生還した歌手ネリーが、爆弾を受けた顔面を修復して「別人」になってしまって、ピアニストだった夫を探すのだが、夫は彼女が死んだと思っている。
「夫はネリーを裏切ってナチスに売り渡したのだ、二人でテルアビブかハイファに移住しよう」と親友レーネが言ってくれているのにネリーは夫に近づく。
夫は彼女が分からないのだが、妻に似ているのを利用して妻に仕立て上げて遺産をせしめようと提案する。
ピグマリオンと人形のような関係になるのだけれど、それが徹底してネリーの側から描かれているし、ネリーは「夫の目に映っていた自分」を演ずるという複雑で倒錯した話になっている。
いくら顔が変わっているからといって夫が妻の声やしぐさや体つきを見抜けないのは不自然かもしれないが、それは妻を裏切った罪悪感のせいかもしれないし、そもそも、歌手としての妻を利用していただけで、愛していなかったということなのかもしれない。
ネリーは「別人」として夫から過去の自分への愛の証拠を探りたい、また新たに恋をさせたい、などの思惑があるのだけれど、夫はずっと親称ではなく他人行儀の言葉でネリーに話しかけるし、部屋に閉じ込めているのに性的には一切近づかない。
それがまた怖い。
後の印象がまるでヒチコックのモノクロ映画を観たような気分だ。
ネリーがベルリンに留まると知ったレーネは自殺する。
レーネはネリーを愛していたと思う。この思いもすごく抑制がきいているのであらわにはならない。それにレーネはネリーが、真摯な愛を傾ける女性の自分よりも、つまらない裏切り男の方を愛していることを知っている。
ネリー役のニーナ・ホスは絶対にヒチコック映画のヒロインにならないようなタイプなのだけれどとにかくうまい。鍵になっている英語の歌はエヴァ・ガードナーがミュージカルで歌っていたというSpeak Lowで、ユダヤ人作曲家でアメリカに亡命したクルト・ワイルの曲だそうだが、初めのバーでのシーン、そして肌寒くなるラストシーンと、あまりにもぴったりで効果的で、歌が世界を一気に崩壊させるさまを始めてみた。
戦後すぐの焼け跡のベルリン、アメリカ兵相手のバー(このバーの名前が「フェニックス」というのだ)の様子など、日本との共通点があるがドイツでは実際どうなっていたのかがあらためて分かってなるほどと思った。
ホロコースト、裏切り、顔の再建、占領、金、焼け跡、だまし合い、偽善、あらゆる要素が倒錯的で陰湿でさえあるのに、すべてが簡素で抑制のきいたトーンで語られるので、「部分」に淫することなくストーリーを追えるようになっている。なかなかの名人芸だ。