リチャード・アッテンボロー『遠い夜明け』Cry freedom
Arteでリチャード・アッテンボロー『遠い夜明け』Cry freedom を観た。
思えばこの映画をはじめて見たのは南アでアパルトヘイトが終焉する以前のことだった。 その後でネルソン・マンデラが大統領に就任し、今はそのマンデラも去った。 南アでのサッカーのワールドカップもあった。 この映画の中でスティーヴ・ビコが黒人専用のサッカースタジアムで演説しているシーンを見て、あらためてなるほどと思った。今でも10人以上が公共の場所で集まることを禁止しているサウジアラビアでもサッカースタジアムだけは別枠だからだ。 今回新たな視線でこの映画を見たので日本のネットで検索したら、邦題が『遠い夜明け』だということを知った。 邦題にはピンとこないものも多いが、このタイトルは今見ると胸がつまる。 なぜならこの映画にある暴力や人種差別やら思想統制などは、それから30年近く経った今でも、全然終わっていないからで、夜明けは相変わらず遠いからだ。南アですらアパルトヘイト以後に新たな問題が山積みしていている。(これに関する過去記事) ラスト近くで再現されるソウェト蜂起で白人が素手の黒人の少年を狙い撃ちするシーンなどは、ついこの前もアメリカのニュースで大きく取り上げられていた白人のポリスによる黒人の若者殺害の場面などと重なる。 今朝はイスラム国がマイノリティ宗教の女性へのシステマティックなレイプを神学的に正当化している事実がニュースで伝えられていた。 パレスティナの赤ん坊をイスラエル人入植者テロリストが夜中に襲って殺したニュースも記憶に新しい。 暴力による人間蹂躙の闇には暁の光が射していない。 今回見て、身につまされたのは、五人の子供と犬と住み込みのばあやがいる家を捨てて亡命するのは大変だなあというリアルさだ。 もちろん金もあって人脈もあるのだから、不法移民の出国の大変さとは種類が違うけれど逆にそれが私にはリアルで印象に残った。 出版予定の原稿を手にしての脱出行は映画的サスペンスに満ちているけれど、新聞社のパトロンで白人だったのだから、1977年の時点でメールはなかったにしてもコピーは取れたはずだと思うし、他の人に託して国外に出すこともいくらでも可能だったのではないか、と思ってしまう。実際、ビコの遺体の証拠写真はもう配信していたのだから。 それでも、主人公がローマンカラーをつけて白人の神父に変装してヒッチハイクすることの効果は面白かった。 アメリカーナはオランダ系だからプロテスタントだったのか、イギリス系は聖公会やアングリカンだったのかなどよく分からないが、この映画でジャーナリストを助けた司祭はカトリックの人みたいだ。変装して出国するときのパスポートがアイルランド人のものとか言っていたし、女子修道会でミサを挙げるとか何とかいう口実が使われていたようだからカトリックっぽい。 2011年の統計では南アではプロテスタント41%カトリック11%アフリカ独立教会27%ということだが、1977年の時点では昔のアメリカのように黒人教会と白人教会が分離していたとはいえキリスト教が絶対的なマジョリティだったことは確かだし、ローマンカラーの司祭服で胸に十字架というのは政治や人種の壁を越えて誰からもリスペクトされるアイテムだったことが分かる。 どんなに捻じ曲げられていても、こういう「共通語」があったということは問題解決のひとつのツールになっただろう。 旧約聖書のハムのエピソードがアパルトヘイトの正当化に使われたこともあるが、コーランの章句による暴力の肯定と同じで、都合のいい「章句」を引用するだけだったら何でも正当化できる。 南アの基準では白人ですらないイエス・キリストの隣人愛を説くキリストの教えに従って黒人解放に力を尽くした白人司祭たちももちろん存在した。それでも、アメリカの例を見ても、宗教のメッセージよりも既得権益を守る人間の強者の論理の方がいつの時代もどんな場所でも優先されるらしいことは残念だ。 でも、特に「黒人差別」をテーマの映画を見ると、やはり「色」のインパクトが大きい。 実際に黒とか白とかいうわけではなくシンボリックなものだとしても、たとえばフランスのような国に日本人がいて、多様な民族を見る時、ゲルマン系でもラテン系でも、アラブ系でもアジア系でも、マスとしてはそんなに違和感がないのだけれど黒人のグループがいるとやはり色のインパクトのせいで「違い」を感じる。 その意味ではこの映画を見ると、現在、ギリシャやイタリアやスペインの島に毎日何千人とやってくるアフリカからの「不法移民」のことに思いをはせずにはおられない。 彼らもまた「暴力(それが経済システムによる暴力である場合も)の犠牲者」だからだ。 モノが自由に行き来できるヨーロッパで人間が自由に移動できないのはおかしい、自由な移動は基本的人権の一部であるというのは事実で、教会はもちろん彼らを支援する民間団体も少なくない。 けれども実際は国境を取り払ったはずのヨーロッパの国の間で、「移民」の受け入れを拒否しあっている。 そしてこれがまだ子供連れの「中東のキリスト教徒」とか、シリアの戦火を逃げてきた家族とかならテレビを見ていても同情しやすいのだけれど、集団でユーロトンネルを強行に進んだり、国境の柵を乗り越えたりする「黒人の男たち」を見ていると、正直言ってなんだか怖い。 そんな怖さに罪悪感を抱いている時に、ダニエル・バレンボイムのインタビューを聞いた。 彼はイスラエルやパレスティナ、レバノンなどの若い音楽家とオーケストラを作っている。 参加する若者たちははじめは互いの偏見もあって不自然だけれど、生活を共にするうちにすぐにシンパシーを抱き合う。そうしたら問題はない。 けれどもどうしてもシンパシーを抱けない者たちもいる。 その時にバレンボイムはこういう。 「シンパシーは感情のカテゴリーだから、抱けなくてもいい、ただしcompassionを持たなければならない。それが無理なら出て行ってくれ」 compassionは慈悲とか憐れみとか訳されるが、文字通り「苦しみを共にすること」、苦しむ人のそばにいること、寄り添うことだ。 それで、compassionは感情のカテゴリーではなく道徳のカテゴリーだから、仲間に入る時の絶対の要請だというのだ。 これを聞いて、パリのカトリック中学校の入学式で子供たちに 「君たちに全員を愛せよとは言わないが、全員をリスペクトすることは絶対命令だ」 と言った校長先生のことばを思い出した。 それを適用するとなんだかほっとする。 幼子を抱いた疲れ切った母親の移民を見ると心から同情するのに、若い黒人男性のグループが我先にと柵をよじ登って国境突破するのを見ると同じ気持ちにはなれなかったのだけれど、情緒とは別に、「彼らの権利を守る人を支援する」のは道徳的要請だと思えばいいのだ。 感情とは別のところで寄り添うことは十分に可能なのだ。
by mariastella
| 2015-08-17 22:38
| 映画
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