これは前回の続きです。
キューバ独立の英雄フィデル・カストロはイエズス会の中高校サンチアゴのドロレス(哀しみの聖母)の生徒だった。
この学校は、1959年の革命の後に他のカトリック系学校や病院と共に国有化された。
神学校などは閉鎖され多くの聖職者らが亡命した。
キューバとヴァティカンはピウス11世時代の1935年に公式に国交を開始しているのだが、不思議なことに革命後もこの無神論革命政権と、正式に国交断絶したことはない。
その点ではフランス革命政府などとは違うのだ。
カストロも人々が自宅の中で続ける信仰行為は容認した。しかしカトリック信者は大学入学を拒絶されたり公務員として働くことも制限されたりしてきた。
それでも国交のあるヴァティカンは「西側諸国」によるキューバの経済封鎖に一貫して反対してきた。
キューバという国は不思議だ。
最近出した
『フリーメイスン』(講談社選書メチエ)という本でもキューバとフリーメイスンについて特別に言及した。
全体主義国、一党独裁国でフリーメイスンを弾圧していないのはキューバだけだからだ。
最初にどんな立派な理念を掲げても人(国、宗教)は現実の壁にぶつかったり欲望や誘惑に負けて独善主義に陥ることが多いが、それでも当初の「理念」のエッセンスをかぎ分ける能力が残っていれば、軌道修正は可能なのかもしれない。
四面楚歌のキューバが最初に教皇にコンタクトしたのはJP2が1979年にメキシコを訪問することを知った時だ。
メキシコの「グアダルーペの聖母」は中南米すべての国の「守護聖女」である。
カストロはその途中で教皇がキューバに寄ることを願ったのだ。
答えはノーだった。
その政治的、思想的メッセージの意味は大きい。
次に1988年にロジェ・エチェガレィ枢機卿がキューバを訪問した時、革命宮で夜に行われた会談中、フィデル・カストロは、枢機卿に「諸聖人の通功(聖徒の交わり)」の教えについて質問をした。
それは諸聖人の名を呼びあげて「我らのために祈り給え」と唱和する連祷に代表されるように、地上での時代の差や地域差を超えたいわば「神の国レベルでの一致」であり、最終的には支配者も被支配者もない究極の聖霊平等主義のことだ。
共産圏東欧出身のJP2がポーランドのカトリック信者を通して自由と連帯の運動を鼓舞してきたことを知っていたカストロは、無神論共産主義の行き詰まりを自覚して本気で宗教のことを考え始めていたのかもしれない。(続く)