今年はローラン・バルトの生誕100年で、いろいろな本や番組が出始めている。
Arteで彼のインタビューや独白がたくさんある番組を観た。
あまりにも分かりやすくて驚いた。
ローラン・バルトとサルトルは、私が最初にパリに住んでいた時に数年は「同時代」を生きた人だったが、1979年から80年にかけて博士課程の単位を取り終わるために一時帰国していた時に亡くなった。インターネットのない時代だったから、この2人の死は、ワンクッションおいた形で入ってきた。
後に90年代になって『ユリイカ』でローラン・バルトについて書いた時、彼のプロテスタント性について触れた覚えがあるのだが、その本が見つからない。
一番の思い出は大学の授業で蓮實重彦さんのフランス哲学かなんかの講義に出て、『零度のエクリチュール』を読んだことだ。フランス語がさっぱりわからなくて、翻訳本を買ったけれど日本語でもわけが分からなかった。講義もわけがわからなかった。
その後いろいろな形でバルトと関わったけれど、今回彼が話すのをTVで見て、はじめて、書くものは言い回しが無駄に難解だけれど、話す時はこんなにも明快で分かりやすい人だったのだと知った。
今の私の年と同じくらいで事故に会って死んだわけで、今となっては、テレビの中のバルトが同年輩の知り合いのような気がしてくる。今ここに彼がいたら、対等に何時間でも話せるだろう。
あの「表徴の帝国」における表徴ならぬ表層的な日本理解に関しても別の視点を提供できたのにと思う。
寝室に、書くコーナーと、描くコーナーと、ピアノを弾くコーナーがあるというのも親近感を覚える。
ただし「好きなもの」にヘンデルやピアノが入っているのはいいとして、「嫌いなもの」にヴィヴァルディやシャルパンティエやオルガンやチェンバロが挙がっているのを見ると、やはり「友だち」にはなれないという感じだ。
それにしても、バルトやサルトルもそうだし、ドゴール大統領などもそうだけれど、生前の姿と肉声をテレビなどで見聞きする度に、100%分かることにかなり感動する。
彼らの書いたり言ったりしてきたことは、私にとって最初は「日本語訳」を通してインプットされてきたものばかりなので、いくらフランス語が分かるようになっても、なんだかヴェールの向こう側の人のような感じがしていた。
バルトのいうように、主体そのものがランガージュの中に組み込まれているのに、一度日本語と日本語脳で認識したことがあるので、何かが乖離していたのだ。
今こういう感慨を抱けるのはフランス語に関してだけで、英語だと、たとえ簡単なもので聞き取れて、翻訳せずに理解できても、同じ言語世界で生きているという感じはしない。ツールとしてか、あるいはやはり「外国語」として頭の中で仕分けされてしまう。読んでいて、やはりすんなり理解できても、言語としてはなんだかのっぺりとして、コンテンツだけが非言語脳の領域にストックされる感じのことが多い。それを言語化する時はフランス語か日本語かになるのだ。
そうなると、音楽や絵画のコミュニケーションにおけるランガージュの普遍性はやはり便利だなあとあらためて思う。