今年のカンヌでやっていたウッディ・アレンはまあおもしろそうかなと思って観に行った。
人殺しやサスペンスは嫌なのだけど、少なくとも血が流れるようなことはないのでOK。
ストーリー自体はうまくできていて、エマ・ストーンもかわいいし、どうして欝々とした哲学教師に同僚や学生が積極的に迫っていくのか分からないが、「絶望した男に惚れる」というテーマは古来あるからいいとしよう。
アメリカの東海岸の小さな町のキャンパス内だけでほとんど繰り広げられる閉鎖空間の話で、そこから逃れるために皆が少しずつ考えるのが「ヨーロッパへ行く」というのがおもしろかった。
化学の教師は夫を捨ててスペインに行くというのが夢だし、ヒロインのボーイフレンドは学部が終わったらロンドンで修士課程をやろう行こうと彼女に提案する。
人を殺して鬱が治って生きる力に目覚めた哲学教授もヨーロッパに逃げようと思っている。
ヒロインの女子学生だけが、やはり教師である親の家に住んだままで、ピアノの個人レッスンに定期的に通っているという模範生ぶりなのだけれど、彼女の逃避先は、ハイデッガーとナチズムなどのヨーロッパ・テーマの本を書いている鬱でアルコール依存の教授を自分の力で救うことなのだ。
サルトルやボーヴォワールの言葉が引かれ、戦後のフレンチ・ソースの考え方だと形容されているのだけれど、やはり哲学が「ヨーロッパ生まれ」という意識がある。
今でも、フランスからアメリカに渡ろうという人たちには、大航海時代のノスタルジー、帝国主義時代のノスタルジーがある。
それは別に征服というわけではなくて、「新大陸でひと旗あげようノスタルジー」だ。
アメリカで生まれた人たちがヨーロッパに行くという時は、「文化ルーツ、哲学ルーツ」のノスタルジーがあるのだと分かる。
フランス人は哲学のルーツがギリシャだからといってギリシャを目指すわけではない。
そのまま文化の古層の上に立っている感じがある。
日本にいる日本人に似ているかもしれない。もちろん政治体制のせいもあるけれど、日本文化のルーツが大陸だからという理由で中国を目指すという人は旅行者以外にはあまり考えられないだろう。
ウッディ・アレン自身も、ヨーロッパにしっかり軸足のひとつをおいていて、その事実自体がすごくアメリカ的である。
いわゆるハリウッドの大娯楽映画などはグローバル市場仕様だからどこでも受容のされ方にあまり差が出ないだろうけれど、ウッディ・アレンのように特殊な個性を持った人の作品には、台詞のここかしこにカルチャーの微妙な陰影が垣間見えて興味深い。