いわゆる「三面記事」なのだけど、なんだか不思議な、フランスでしか起こらないような事件だったので覚え書。
11/5、北ブルターニュの古い教会に、司教区の宗教美術委員会が目録作りに訪れた後で、司祭がキリスト像のひとつを床に落として「これで一つ減った !」と叫んだというのだ。
「余計なものが一つ厄介払いできた」というニュアンスの言葉だ。
それにショックを受けた人々が司教に手紙を書き、司祭は司教から近く事情聴取を受けるが、その前に新聞沙汰にもなってAFP(フランス通信)のインタビューに答えたものが11/10の全国紙にも掲載された。
それによると、イエスが聖心から光を放つタイプのの石膏像が壁に固定されているかどうか見るために動かしたら床に落ちて割れてしまったので、決して故意に壊したのではない、と55歳の司祭は言い、司祭不足で仕事が多く過労気味で疲れて苛立っていたことを認めて、ショックを受けたという人々にメールで謝罪したという。
うーん、現職の司祭がわざわざ人々の前でキリスト像を壊す理由はまったくないから過失というのは当然だと思う。
でももしそれなら、周りにいた目撃者がわざわざ司教に訴えることはないので、やはりその時に発した言葉が問題になったらしい。
くだんのキリスト像は19世紀のもので、いわゆるサン・シュルピス風とよばれるセンチメンタルなものらしく、司祭はもともとこのサン・シュルピス風が嫌いだったというのだ。
しかし、壊すほどに嫌いなのなら、司祭なのだから、どこかに隠して、信者には、誤って破損したので別の場所に保管してあるとでも説明すればいいことだ。
この
教会は13世紀頃から少しずつ建て増しされたなかなか趣のある建物である。
10世紀の終わり(994)に地元の聖人エフラムの遺骨がもたらされた時に造られた墓所が起源だ。
19世紀初めにその遺骨を納めた壺が発見されてかなりの骨が確認されている。
エフラム自身は半ば伝説の聖人で、5世紀生まれのアイルランド王の息子で結婚を避けてブルターニュに渡り、アーサー王を助けてドラゴン退治をしたとか、彼を追ってきた妻と共に森の隠遁所で神への奉献生活をおくったとかいう。
そういう由緒ある教会だから、さまざまな絵や彫刻や聖具があるのだろう。
しかし、教区民がわざわざ司教に訴えるということはその背後に別の何かがありそうでもある。
他の証言としては2014年に結婚講座(教会で結婚式を挙げるカップルのために数回のミーティングがある)で婚約者同士の前で、この司祭が聖母像を壊したという話が、地元の宗教文化サイトに書き込まれたというのがある。
ますます不可解な話だ。
それも司祭が嫌っているサン・シュルピス風の像だったのだろうか。
司教区の対応は実際的なものだ。
まず、壊された聖像が1905年より前のものかどうかを確認する。
1905年の政教分離法によってカトリック教会とその付属品はすべて自治体の所有物となったからだ。
で、聖像が1905年以前のものであれば、類似品をカトリック教会が自治体に弁償するという。
なるほど。
ネットで検索するとなかなか感じのいい司祭で、人類のために尽くすことを使命とし、もし超保守派の司教が任命されることになったら自分は迷わず還俗して理想を求め続ける、と「自由であること」を強調している。
使命感に満ちたエネルギッシュな司祭の感性が、センチメンタルな石膏像や1500年前に生きた聖人の遺骨の崇敬とうまくかみ合わないというのは想像できる。
教区の信者たちの感性を逆なでることを気にしない自由さをコントロールできなかったのかもしれない。
ひょっとして別の何かがあるのかもしれない。
自由、信仰、使命感、宗教や信心のシンボルや伝統の重みとしがらみ、など、とてもフランス的だ。