(これは昨日の記事の続きです。)
1096年、フランス人教皇のウルバヌス二世が「神がそれを望む!」と煽って、何千人もの庶民巡礼者が638年以来イスラム教徒の支配下にあった「聖地」に向かい、「十字軍の騎士」がそれに続いたのは史実だ。
イスラム教が登場するまでの「中近東」地帯はキリスト教徒がマジョリティだった。
十字軍は「聖地奪還」してエルサレム国などのキリスト教国を打ち立てた。
しかし、1187年にイスラムの英雄サラディンがジハードを宣言してエルサレムを再び奪還した。
この前後の経緯については政治や宗教以上に、社会的にも経済的にも複雑な背景があるのだけれど、その後、数世紀経っても、キリスト教側もイスラム側も、単純な「戦争頭」は、この十字軍やらジハードの「聖戦」とか「正義の戦争」を都合のいいように刷り込んできた。
1990年にクウェートを救うと言ってイラクに侵攻したブッシュ(父)も「正義の戦争」と言ったし、ブッシュ(息子)の十字軍失言も有名だが、イスラム側もナセルからカダフィー、サダム・フセインまで、人気とりを意識して自らとサラディンを重ね合わせてきた。
最悪なのは、この、
「自分たちのテリトリーである中東に勝手に«エルサレム王国»をたてられたけれど、絶対に認めない、いつかは奪還して見せる」
というサラディンの成功体験のレトリックが現在進行形でイスラエルに向けられていることだ。
つまりもうキリスト教もユダヤ教も関係がない。
宗教が「他者への憎悪」「他者の排除」の口実に使われ、単純化された「十字軍」のような分かりやすいシンボルが横行するだけだ。
それを効果的にするためにイスラム過激派は「自由主義諸国=キリスト教国」とレッテル貼りをしているけれど、フランスはキリスト教文化圏の国でも群を抜いて政教分離で無神論、反教権主義がイデオロギーになったり知的担保になっている国なのだから皮肉だ。
シャルリー・エブド襲撃テロの後に有名になった『JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)』というロゴはフランス人の作ったものだけれど、今回出回ったのは同じ黒地の配色の『PRAY FOR PARIS(パリのために祈って)』というものは、アメリカ発だそうだ。
危機に当たって宗教的コノテーションがあるフレーズが出てくるのはアメリカらしい。9・11の後のNYに「なぜ神はこのテロを許したのか?」というチラシがNYの街角で配られていたのを思い出す。
ロンドン在住のフランス人イラストレーターの
ジャン・ジュリアンのデザインしたロゴも出回った。
これは核廃絶のシンボルでヒッピー運動以来
peace and loveとして使われてきたロゴ
にエッフェル塔を組み合わせたものだという。
これを見て、あら、不思議、下に十字架が現れた、と思う人がいるとかいないとか・・・
(
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