前に
「黙祷はソルボンヌ」という記事を書いた。
その後、ソルボンヌの創立800年記念と前年の最優秀論文の表彰式のパーティに招かれて出席した後、やはり最初のスピーチで、学生と教師の犠牲のことが語られ、起立して1分の黙祷が捧げられた。
集団の黙祷が嫌いな私だけれど、いわゆる射祷のように、犠牲者の冥福、中東の平和、戦争がなく皆がリスペクトし合って共生できる世界が来ますように、みたいなことを黙祷してみて、それでもまだ時間が余ったので他の人を眺め、この人たちは何を祈っているのだろう、と考えた。
学長が、学問による真理の探究を称揚し、はっきりと覚えていないけれど「知識は野蛮より強く、文化は無知より強く…」という類のことをスピーチの中で言った。こういう暴力の時代であるからこそ、地道に人類の文化資産を増やすことが大切だと言うもっともな話だ。
オーウェルの『1984』に出てくる独裁国のスローガンに
「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」
というのがあるが、その反対を言いたかったのだろう。
そういえばオーウェルのこの本には「二分間憎悪」と言うのもあった。
一日一回、国旗掲揚や国歌斉唱ではなく、二分間プロパガンダの映像を見せて「反体制」に憎悪を抱かせるというやつだ。
これも一分間の黙祷の対極なのだろうけれど、皆が一斉に一様の態度をとらされるという点では黙祷と変わりない。
いや、「二分間憎悪」が本当に効を奏するのだとしたら、一分間の黙祷も、集団の心を一致させ連帯感を高める実効があるのかもしれない。
私にはこういう心理コントロールに使えるシステムそのものへの不信がある。
近未来物語にはその年が過ぎると「古くなる」か時代錯誤になるものもあるけれど、『1984』は古くならないところが、怖い。