バスティーユの近くにあるCAFE DE LA DANSE に Edouard Ferlet と Violaine Cochardによるピアノとチェンバロのデュオ・リサイタル Think Bach をバロック仲間のHといっしょに聴きに行った。
Violaineが、Hがチェンバロを始めた頃5年くらいレッスンを受けていた先生であることをのぞいてなんの情報もなしに行ったので、バッハの曲のピアノとチェンバロの弾き比べかなあ、くらいに思っていたら全然違った。
Edouardはジャズ・ピアニストで、そういえばバッハの曲はよくジャズ・アレンジもされていてジャズ・ピアノとは相性がいい。
彼は楽譜をビジュアルに眺めて切り貼りしてアレンジするという独特のやり方で結果はとても演劇的だ。
ジャズピアノのタッチというのも、鍵盤を這うように動くものがあってチェンバロに近い。
今回はチェンバロの方が打楽器のように叩いたり、琴のような音を出していたり、ピアノも、ピアノ線を叩いたり、こすったり、さまざまな遊びがあった。
20年以上前、やはりHとパリの日本人ピアニストのホーム・コンサートに行ったら、ピアノ線の上にワインのコルク栓をばらまいてチェンバロ風にしたり、チベッタン・ボウルの縁をこすって音を出していたりしたのを思い出したが、Hも同じことを想起したと言っていた。
もともとジャズとバロック、特にフランス・バロック(バッハも組曲などはフランス・バロックを踏襲している)は縁が深い。(私の『フリーメイスン』という講談社選書メチエのp91-98参照)
繰り返しを嫌い即興が重要なところも似ている。
即興といっても好き勝手なものではなく和声進行など緻密な秩序の基盤にのっとっている。ヴィオレーヌはバロックの即興の名手だ。
この2人は仲がよさそうで息もあっていて、即興が半分を超える部分もある。
ラストに『展覧会の絵』の「古城」をアレンジした曲があってこれがファンタジーアニメを見ているように楽しく、後半で「古城」のテーマが出てきたと気づいた時は、意外性となつかしさにとらわれた。
Hも同じだ。25年以上前にルイ・ロートレックのアンサンブルで一緒に弾いていた時、この「古城」がレパートリーのひとつだったからだ。
私はルイといっしょに第一ギターを受け持っていたが、隣にいるルイの出す比類のないやわらかでかつ華やかな、まぶしい輝きのある音色に感心した。Hはまだ高校生だった。
エドゥアールは赤い靴を履いていて、ヴィオレーヌは黒いドレスに赤い布ベルト。
二人のビジュアルもすてきだった。
ユーモアもあって、ピアノとチェンバロの共演という珍しい企画のおかげで「ピアノ嫌いな人もチェンバロ嫌いな人も両方にきていただけました」というのもしゃれた表現だと思った。
ホールは立ち見客もぎっしりだった。
パルティ―タのジーグからはじまってチェンバロ曲集のアルマンドなど、選曲もいいし、二つの楽器の使い分けが実に楽しい。
11/13のテロの標的となった11区だけれど、夜の通りのどのカフェやレストランもテラスを含めて人がいっぱいだった。
音楽で分け合えるのは幸福感だ、とあらためて思う。