昨日の記事でドナルド・トランプが突如教皇loveに回帰したことについて「何が起こったのか?」と書いたが、もちろんサウスカロライナの予備選のためだ。
「大統領の家系」で人脈も金脈も絶大な上にカトリックで妻がメキシコ人、ヒスパニックにも受けそうなジェブ・ブッシュが予備選を辞退してしまった。
彼はフランシスコ教皇が貧困を生む新自由主義経済を糾弾し環境破壊も金の崇拝と大企業のエゴイズムのせいだと非難したことを受けて、教皇をまっこうから批判した。
一方のトランプは、いかにもなエスタブリッシュメント・プロテスタントであるが、昨日書いたように、最初から教皇loveと言っていた。
「僕と同じように謙虚だから」とか、先日のように、朝と夜ですっかりと態度を変える(ブレーンにたしなめられたのだろう)など、あまりにもご都合主義で、わかりやすいといえばわかりやすい。
でも、それでチャラになってしまうところが、ポピュリズムの真骨頂であり、逆に、ローマ教皇というのは「神」と同じで使い勝手がいいというか選挙戦にも有効なアイテムなのだろうな。
ジェブ・ブッシュは甘かった。
フランツ・リストが、群衆というのは鉛の海だ、火には容易に溶けるが、動かすには重すぎる、みたいな言葉を残している。
トランプに容易に溶かされる群衆が、最後の局面で本当に思い通りに動くかどうかはまた別の問題である。