2/21は第一次大戦最大のトラウマになったヴェルダンの戦いが開始されて100周年で、戦いの再現を含む大規模な記念行事が行われた。
ドイツ人もたくさん参加した。
昨年のナポレオンのワーテルロー200周年のお祭り騒ぎは、歴史マニア、ナポレオン・ファンなどの心理からも分かるけれど、ヴェルダンのように生々しいものがなぜ?
基本的には、「戦争の悲惨さを訴えて、同じ過ちを繰り返さない」というやつだ。
この戦いではドイツにもフランスにもそれぞれ30万人以上の戦死者が出て、しかもそれで戦争が終わったわけではなく、ただただ、不条理で不毛なものとなった。
これを、忘却するのではなく、また「戦勝記念」というようなナショナリズムやプロパガンダとも関係なく、その残虐さを確認、追認しようというのはある意味で特筆に値する。
それどころか、ナショナリズムの衝突が悲劇を生むことを肝に銘じるためのものだ。
少なくとも、ドイツとフランスは未来永劫もう絶対に戦争しない、という意志の確認となる。。
なぜなら、まさにヴェルダンの戦いの後でそれをしなかった故にこそ、第一次大戦が終わってからも憎悪や敵対の炎は消えず、わずか20年後には第二次大戦が始まったからだ。
ドイツとフランスは、第二次大戦が終わってはじめて、「二国間の戦争を放棄する」ことを決意した。
それがEUの前身である独仏石炭鉄鋼同盟であり、その決意にエネルギーを供給し続けるために、第二次大戦ではなく第一次大戦のヴェルダンの戦いにまで遡ってその愚かさを再確認するというセンスは悪くない。
二国の和解を固めるために、何度も両国に争われたアルザス・ロレーヌ地方(ヴェルダンはロレーヌ)にヨーロッパ評議会が置かれたのもうなづける。
第二次大戦から70年経ち、少なくとも、最初のヨーロッパ共同体を形成した国々の間ではもう「戦後」しかないとは言えるだろう。
もちろん他に新たな問題が山積みしているのだけれど、やはり戦後70年を経た日本では、隣国との関係を語る時にまた「戦前」的な言辞が飛び交っているのを見ると、独仏間の「永遠の戦後確定」はうらやましい。
おおげさにいうと、ヴェルダンの記念式典には、日本と中国がもう二度と戦争はしないという記念行事を南京でするくらいの心理的インパクトがある。
敵味方を問わず犠牲者の多さを前にして「懲りる」という学びは、たやすいようで難しい。