6月に弾くラモーの『カストールとポリュックス』の中のAir Gracieuxを練習していて、いつもながらラモーに驚く。
一見無邪気に機嫌よく進んでいくようで、繊細な仕掛けがあちこちにあって、人の持つすべての感情が複雑に想起されるようになっている。
あまりにも芸が細かいので混乱させられるくらいだ。
またこの曲は弱起の三拍子なのだけれど、どう扱っていいのか分からない二拍目が多い。
三拍目が一拍目を導入するためにある、というのはよく分かり、三拍目と一拍目の関係は有機的なのだが、二拍目が時折りNo Man’s Landになっている。
ズンタッタ、ズンタッタ、といういわゆるワルツからは、かけ離れた不思議な世界だ。
そのラモーとは対極にある、6月のジル・アパップとの共演のアメリカン・フォークな曲、ついでだから、ギターやピアノの生徒らにも参加させて発表会で披露することにする。10歳から84歳まで。
でも、私たちにはどうということのないシンコペーションが、多くの生徒にとってはそう簡単ではないことが分かった。しょうがないからアレンジする。
難しいのはテクニックと言うより、人前で弾かなくてはならないと思って練習する時の、曲との距離感、つまり距離の取り方なのだとおもう。普通にハミングする時には無意識にしていることでも、楽譜を前にしたり他の楽器が違うパートを弾いていたりすると途端にパニックになる生徒が多い。
複数で演奏する時に頭と心をどこにもっていくのかは不思議な問題だ。全体を俯瞰して聴衆のように見て聴くのか、指揮者のようにひっぱっていくのか、全体の一員としての分をわきまえるというか自分のパートの近くにとどまっているのか、平常心で練習を思い起こすのか、成功体験を想起するのか、困難のトラウマをひきずるのか、そのどこに自分を位置づけるのかを見分ける視線をもてるのか。
長年弾いているトリオの仲間とは、最初の一音からすぐに入っていける共通のプラットフォームみたいなものがあるのであまり悩まないけれど、生徒のためらいやらパニックやらを前にすると、どういう方向に向けてやればいいのか、いつも考えさせられる。