トランプとクリントン、大統領選史上で最も不人気同士の対決になるなどと言われているが、「神の国」上がりのアメリカという視点から少し観察してみよう。
ジョルジュ・ブッシュ大統領がボーン・アゲインの回心者でかなり「聖戦」熱に駆られていたことはよく知られている。
オバマ大統領は父親がムスリムで、ムスリム的には父親の宗教が自動的に子供に適用されるが、成人してプロテスタントの洗礼を受け、教会に通っている所をアピールもしている。
それでも隠れムスリムだというような中傷は完全にはやまない。
前回オバマと対決したミット・ロムニーはキリスト教異端とされるモルモン教徒だった。そのことを指摘されて、ケネディ大統領の例を引いて「政教分離」を強調した。
ケネディはアメリカ初のアイルランド系カトリックの大統領候補で、何度も、ローマ法王の意見とアメリカの国益が反すればどちらに従うのか、などという追及を受けていたのだ。
こういうこと自体が日本やフランスでは考えられない。
よくよく宗教色を出しているのでなければ、政治家に信仰の有無やその宗派の長や教義と国益が矛盾したらどうするのか、などと聞く発想は誰にもない。
まあ、「国家神道」の亡霊では神託と国益は一致するのだろうけれど。
また、アメリカでは保守的で聖書原理主義的である「福音派」が、メガチャーチのマーケッティング戦略を通して大きな力(財力も含む)を持っていて、保守派の票の行方に多大な影響力を持っていることも知られている。
そんなアメリカの今回の大統領選における宗教的雰囲気はどうなっているのだろう。
まず、これまでと違って、福音派による集票の動向が大きく変わった。
(以下、福音派のWheaton Collegeでコミュニケーション社会学を教えるTimothy C. Morganを参考)
メガチャーチでの説教は、福音派であろうとももはや政治的説得力を持っていない。
人々はTwitterやFacebookによって政治的立場を選択するからだ。
というより、すでに同じ傾向の人ととばかり接触し、リアルの議論というものがなくなっている。
牧師たちも広報戦略をどんどん新しくしなくてはならない。
福音派のカリスマ・リーダーであるフランクリン・グラハムのTwitterのフォロワーは約400万人だが
ドラルド・トランプのフォロワーは一千万人にのぼる。
また、トランプ自身は、今の格差社会のアメリカの反知性主義の生んだ鬼子ではない。
独善的な富豪が政治に乗り出したのは1992年に無所属で大統領選に出馬したロス・ペローと同じく、アメリカの政治模様に現れる一つの典型だ。
前に
ここや
ここでトランプと教皇のことを書いたけれど、宗教的にも言論的にも節操がなく自分だけが全能感を持っているというタイプだろう。
また、今のオバマ支持者はクリントンを支持するだろうが、民主党でオバマを支持しなくなった層も少なくない。
その一つにはオバマケアがある。
オバマケアの積み立てが企業にとって高くつくことと、オバマケアを認めることは妊娠中絶費用の積み立てに参加することになるという宗教右派の反感とがうまくセットになっている。
次回はクリントンの側を見てみる予定。