(これは昨日の続きです)
朝から、マザー・テレサの列福の実況に続き特別番組が組まれていた。
教皇が説教の中で「マザー・テレサ」と言ったことが、今後も、「聖女テレサ」とか「聖マザー・テレサ」と言わなくても、今まで通り「マザー・テレサ」と呼び続けてもいい、というお墨付きとなった、と解説されていた。
マザー・テレサが聖女になったのは何よりもその「マザー」の側面であってキリスト教の「母の愛」の側面をインド社会が発見したことの意味は重要である、云々。
他の病気は薬で治るが、自分が愛されていない、誰にとっても意味がない、という絶望の病を治すのは、愛しかない。で、マザー・テレサはそれを実践した。
そして「愛」の根源にあるのが「母の愛」というわけだ。
パステルナークの「ドクトルジバゴ」にあるという言葉
「どうして神は(イエス・キリストに)受肉したのか? それは神もおかあさんというものを知りたかったからだ」
も引用されていた。
私は前にも書いたけれど「おかあさん神話」が特定の女性の姿に重ねられてバイアスがかかっていくのを、ちょっと違うんじゃない?と思っているので、微妙に思ったが。
で、昨日の続き。
Q.マザー・テレサは生前も同じようにインド人から崇敬されていたのか?
A.ヒンズー教徒からすでにダルシャン(神の顕現)とみなされていました。インドでは一派にダルシャンはグル(尊師)でした。彼らは神殿に住み、やってきた人々に平和と智慧と愛を伝えます。
マザー・テレサはそのサリーの簡素な姿という外見によってダルシャンに新たな力を付与しました。
日常的に彼女が外を歩くとき、多くの人が彼女の後をついていき、服に触れようとしました。
インド人でもなくヒンズー教徒でもないダルシャンというのは唯一の存在でした。
あまりにも崇敬が浸透したので彼女のインド国籍取得を問題する人はいません。
宗教に関しても、多くのヒンズー教徒にとって、彼女がカトリックだということは重要ではありません。彼らは彼女の中に、ヒンズー教の最高峰に達するための道の一つを見るからです。
(マザー・テレサの国籍については、wikipediaを見ると、
オスマン・トルコ (1910-1912)
セルビア(1912-1915)
ブルガリア (1915-1918)
ユーゴスラビア(1918-1948)
インド (1948-1997)
アルバニア(1991-1997)
となっている。東欧系の人って大変な時代を生きたなあ、とあらためて思う。)
(続く)