(これはこの前の記事の続きです。)
MJ(マックス・ジャコブ)は次の日に、モンマルトル地区のアベス通りに1904年に完成したばかりのアール・ヌーヴォー様式のコンクリートの洗礼者ヨハネ教会l'église Saint-Jean-l'Evangéliste の香部屋に飛び込んで、洗礼を受けたいと司祭に頼み込んだ。
司祭は相手にしてくれなかった。
MJはユダヤ人だったし、そのころマリー・ローランサンと付き合っていたギヨーム・アポリネールや画家のピカソなどとつるんで夜のパリを徘徊してエーテルを飲んでいる頽廃的なアーティスト・グループの一人である。
幼児洗礼とは違って成人洗礼は「要理」の勉強などのハードルもある。
他のアーティストたちは生まれた時からカトリックだが、「要理」などもはや何の意味も持っていない。
彼らの仲間であるMJが今さら何をしようというのだ。
司祭に相手にされずMJは失望した。
ある意味、この時代の頽廃的なカトリックのアーティストたちは不思議な存在だった。
ピウス10世が「近代」を批判して保守的な路線を進めた時代であったのに、世紀末から20世紀初頭にはある種の神秘熱にかられた一群の「カトリック作家」がいた。
ボードレールの「惡の華」や、バルベイ・ドールヴィリィの「妻帯司祭」はカトリック神秘主義とダンディズムとオカルティスムが分かちがたいスタイルを確立した。
世紀末以来、ヴィリエ・ド・リラダン、ユイスマンス、ランボー、ヴェルレーヌ、カトリシスムと悪、ストイシスムとサタニスムの間に揺れる多くの作家が、ドイツロマン派の影響も受けてひしめいていた。
彼らはすでに矛盾した存在だったが、たとえ途中で「回心」を表明したにしろ、たいていは生まれた時に洗礼を受けているフランスではマジョリティに属するクラスの出身だ。
ポーランド系のアポリネールも、スペイン系のピカソもカトリックである。
そのことと生活の仕方の齟齬は、誰も全く気にしていなかった。
「無神論者」になることは真の回心と覚悟が必要なイデオロギーの表明だった。
それに対して、頽廃的で審美的な貴族趣味のアーティストたちにとっては、散文的な近代合理主義に背を向けて、しかし懐古ではなく刺激的なアヴァンギャルドを追求するためにカトリックのアイデンティティが邪魔になることはなかった。
そんな中で、ユダヤ人であったMJが彼らと同じようなスタンスはとれなかったことは想像できる。
それからの5 年間、MJは元の生活に戻った。5歳年下の ピカソを同居させていた。ベッドがひとつしかないので、一人が寝ているときにもう一人が制作した。
MJはピカソに同性愛者として惹かれたが、ピカソは絶望的に異性愛者だった。
1914年、イエスが二度目にMJの前に現れた。 (続く)