この10/19にパリのセーヌ河畔の一等地に落成するロシア正教のカテドラルのセレモニーにプーチン大統領が来ないことになった。
来るならシリアについて会談したいとオランドが条件を出したからだ。
いわゆる欧米の対テロ連合国の中でフランスは唯一ロシアに外務大臣を送って、ロシアのアレップへの爆撃、アサド大統領への支援について抗議した。
アレップというと、義弟のところにあるアレップの石鹸の膨大なストックのことが思い出されて、石鹸のにおいや手触りまで今は胸をしめつけられる。
で、このカテドラルには12月にモスクワ総主教が来ることになっていて、主教を差しおいて大統領が先に来るなんておかしいんじゃないかと正教内部で議論されていたのだけれど、大統領が来なくなったことでそちらのテンションは回避できた。
共産党がすべてを仕切っていた社会主義政権時代から抜け出す過程でもう、「次の手」として社会不安を制御するためのロシア正教復活は画策されていた。フランス革命の後の、ナポレオンがコンコルダを準備したのとそっくりだ。
ロシア正教は国教会ではあるが「キリスト教」だから、ルーツは普遍主義にあるわけで、再出発する国家の統合の他にも、欧米キリスト教国との関係修復のために大いに役に立った。
今でも、ロシアからパリに来るアーティストらは、大使館の文化部に行くよりもロシア正教の文化センターに行く。
政教分離というより、「ロシア正教= ロシア文化」というスタンスが公式にとられたからだ。
その辺が、フランスとは違う。
フランスで政教分離というと、もとはカトリック教会への牽制で、今ではイスラムもキリスト教も「平等」だということでいっしょくたにして扱われるのだけれど、事実上は「フランス・カトリック教会=フランス文化」というルーツがある。それを必死に否定しているところがフランスらしくてかわいいと言えばかわいいのだが、どうみても今はロシアの方がプラグマティックで成功している。
ロシア正教はナショナリズムと普遍主義をうまくミックスしたロシアのソフト・パワーとして最大に利用されているのだ。
そしてロシア文化のもう一つのルーツにフランス、というより「パリ」がある。
この壮大なカテドラルの建設やキャンセルされたプーチンの訪問、エロー外相のロシア行などの背景には、すべてロシアと「パリ」との間に紡がれた歴史がある。
それはロシアがパリの「貴族文化」に抱いていた「憧れ」と関係がある。
オーストリア皇帝フランツ一世は、ナポレオンに娘を嫁がせたが、最初に声をかけられたロシア皇帝アレクサンドル一世は娘を嫁がせることを拒否した。
近刊の『ナポレオンと神』でもその機微に少しだけ触れた。
聖なるものと文化には切っても切れない関係があり、ヨーロッパではそれが「キリスト教」という共通の枠組みを持っていたわけだが、ロシアとフランスの間にはまた独特の屈折があるのだ。
プーチンとトランプが仲がいいらしい、というような事情とは全くの別物である。