先日、上野の国博に「禅」ー心をかたちにー展を観に行った。
禅が人間を
「その存在性においてではなく可能性において見る」
というのはキリスト教的だなあとあらためて思う。
人間だけではなく草木にまで仏性を見る、というのが人間優位のキリスト教と違うという言い方をされることがあるけれど、一神教の創造神は宇宙、森羅万象を造ったのだから、聖霊はすべてに宿ると言えて、実は大きな差はない戸と見ることもできる。
歌舞伎と同様、禅や禅語録も、中学高校の時代から親しんできた世界だから古巣に帰ったような気がする。
いや、私は生まれる前から禅僧と縁があり、名前も老師からつけてもらったもので、その老師の揮毫した「養神」の掛け軸は今も私のフランスのうちにかかっている。
父がよく参禅していたのでうちは禅宗なのだと思っていたくらいだ。
父は『塗毒鼓』を白文で暗唱していた。
私も碧巌録や臨済録、その講話を借りてよく読んでいた。
子供のころ関西にいたから、奈良や京都のお寺はかなりよくまわった。中学の時に、高校生の兄がいわゆる受験勉強の時期で、私とあまり出歩いてくれなくなった母が、奈良女子大の学生を「家庭教師」として見つけてくれて、私はお稽古事ばかり熱心で家で勉強するということがなかったから、休日に彼女が私と一緒にお寺巡りをしてくれるように頼んでくれた。
当時、日本の寺社の写真解説の全集みたいなのを毎月配本してもらっていたので、それを見ながら彼女と二人でいろんなところを回ったのだ。
今から思うと、贅沢なことだった。
高校に入ってからは、ひとりでめぐるようになった。
よく学校をさぼったり早引けしたりして人混みのない時に出かけた。
母が私の体調が悪いと電話してくれたり、友人たちが私が具合が悪くなったと先生に証言してくれたりした。
これも今から思うと贅沢なことだ。
そんな懐かしい禅や禅寺だが、この展覧会で、始祖、開祖、高僧の彫像を画からおこして三次元にしていたやり方などをはじめて知って興味深かった。禅と茶道の関係には眠気覚ましの意味があったのだというのも、今まで考えたこともないことだった。
発見はたくさんあるが、いつものように、
中国や日本のように毛筆=軟筆で字も画もかく文化と、
ヨーロッパのように字は硬筆で、知識人の世界、画は軟筆で職人=芸術家の世界と分離している文化
との違いが二次元の芸術にもたらした差異に驚く。
そのことについては、出光美術館の仙厓展でも感慨深く思った。
同じ毛筆という道具で同じ人が同じ画面に書と画を配する世界と、
文を書く階級が、画を描く階級に絵を注文する世界の差は大きい。
それでも、今回、池大雅の五百羅漢図が指頭画と言って指先や爪、手の腹などでほとんどが描かれていることを知って驚いた。
一種の「硬筆」の趣があるからだ。
また、今回展示された、萬福寺のユニークで迫力ある
「羅怙羅尊者」像の作者の范道生が1663年の時点で中国から来日していたというのもはじめて知った。
翌年父の古希を祝うために一時帰国したがその後再び日本に来ようとして再入国を許可されず、船の中で病死したという。
鎖国政策との関係からも興味深い話だ。調べてみたい。