アメリカの大統領選に比べてフランスは腐っても鯛、上品だなあと思っていたのに、フィヨンとジュッペの一騎打ちになって、突然相手への誹謗が飛び出した。
フランスがカトリック文化圏の国で、それを倒して共和国を造った国だというのもあらためてよく見えてくる。
カトリック信仰を隠さないフィヨンには「カト、トラディ(伝統主義者)、レアク(反動)」などの言葉が浴びせられる。
カトリックを「カト」というと、すでに、反革命、蒙昧な保守主義者、ブルジョワ王党派などの含意がある。
これを受けてフィヨンは
「カトリックです。でもトラディでもレアクでもない。すべてを変革しようとしているのだから」「信ずる価値観があるのは大事です、私は家庭、国の権威、労働などの価値を信じます」
と答えていた。
ジュッペも、「自分の方がフランシスコ教皇に近い」と明言するし、カトリックに属する二人ともが教皇を引き合いに出して自分の立場を正当化している。
今のローマ教皇は、フランスが力を入れている環境保全の最大の味方だし、社会政策についても、保守どころか社会党からも共感を寄せられるくらいの徹底した弱者擁護である。
ニースのテロの犠牲者や家族を宗教と関係なくヴァティカンで励ましたことも好意的に受け止められている。
アメリカの方が「宗教共同体」の縛りや建前がはるかに強い国だけれど、フランスのような「無神論的共和国」の建前の強い国の「建前の狭間」から漏れてくるカトリック臭というのはある意味で「かわいい」と思ってしまう。
そう思うこと自体、私の世代の日本人がいかに「信仰に無関心」の空気の中で育ったかの表れかもしれない。
建前宗教共同体のアメリカに比べると日本とフランスは似ているなあと日頃思っているけれど、日本の霊的無関心の荒野の乾燥度は半端でないかもしれない。そこを狙われたら誰に水を与えられても識別力が働かない可能性がある。
フランスは果たして、砂漠を掘り返すと泉の気配が見えてくるのだろうか。