フランスのエリート新司祭のことから日本の湯浅誠さんのことを連想していた頃、「N女」=「非営利セクター(NPO)で働く女子」という言葉をネットで見かけた。
「有力企業に就職する実力がありながら、雇用条件が厳しいと言われるNPO業界を就職先に選ぶ女性」のことだそうだ。
エリート女性の方が、弱者支援の活動に向かうハードルが男性のそれよりも低い?
夫が生活費を稼いで妻がボランティア活動に熱心になる、というような構図はよくありそうだ。
その他に、高学歴・高職歴を持ちながら、条件の悪い社会福祉型NPO法人に転職する女性もいる。
地位や名誉や金よりも生きがい、やりがい、使命感などを選ぶことは「贅沢」の一種なのだろうか。
男性にかかる「妻子を養わなくてはならない」というプレッシャーがない分「自由」なのだろうか。
日本のカトリックの女子修道会で、観想型ではなく社会活動型の修道会には、教師、看護師や社会福祉士などとして働くシスターがたくさんいる。
姉妹で同じ修道会にいるシスターから、「シスターになりたい」という召命よりまず自然に「福祉の仕事をしたい」という召命があったと聞いたことがある。
クリスチャンの家庭に生まれたわけではない。
いわゆる「天職」であり、そういう時に、社会活動型修道会に所属することを選択すれば、一生自分たちの衣食住には悩まないで済むのだから、心置きなく「天職」を全うするのに最高の環境かもしれない。
子や孫や家族関係にも悩まされなくて済む。
みなさん、高齢になっても生き生きと現役で活躍している。
男性が男子修道会に入って同じことをするのはいろいろな意味でハードルが高い。
男性の場合は平修道士でいるか神父になるか、などの内部のヒエラルキーも複雑だ。
昔の家父長的日本的感覚なら
「いつかはお嫁に行って家から出る娘」を神に捧げるのと、
「嫁をもらって子孫に家督家名を継がせるはずの息子」を神に奪われてしまう、
のでは家族の反応も違うだろう。
だから、フランスの高スペック新司祭のような人が生まれる土壌はないし、党派とも宗派とも関係なく暮らしながらコストパフォーマンスの悪い(というか別のロジックで動く)社会活動にフルに人生をかけるような男性は例外となる。
湯浅誠さんはお子さんはいらっしゃらないが、おうちではどうも2匹の猫に「仕えている」ようで、ほほえましくて親近感を覚える。
上から目線でなく下からお世話させていただく、それが何よりの喜びとなるというのが「可能」だというのは、「猫飼い」が日々実感できることだからだ。