パリのポンピドー文化センターができてちょうど40年ということで、記念のドキュメンタリー番組を先日見た。
ポンピドー・センターの歴史はそのまま私のフランスでの生活の歴史に重なるので感慨深い。
できた時には、「友の会」のような支援グループに会費を払って登録していたので、その後、展覧会にも並ばずに入れた。
開館一周年記念のパーティにも招かれて出席した時、センターをかたどった直方体の大きなケーキが出されたのも懐かしい。
ポンピドーセンターの近くはなじみの界隈になった。
まだミッテラン政権の前で、同性愛が刑法上の罪を構成していた時期で、この地区にゲイの友人が、フランスで初めてのゲイのためのカフェを開いていて、ある夕方に訪ねて行った。親密な雰囲気のカップルたちがカウンター席で寄り添っていた。私は目立たないように奥の席に通された。
ベトナム人の知り合いが「七つの牛料理」という名のレストランを開いて、七つの調理をした牛肉料理が次々出てくるのをはじめて食べたのもセンターのすぐ近くだ。ネムという揚げ春巻きをミントの葉といっしょにレタスに包んで食べることもそこで初めて覚えた。
図書館の雑誌コーナーに日本の週刊誌が置いてある時期があって、感激したこともある。
だいぶ後で、私のピアノの生徒のお母さんがここで働いていたので、数々の招待券をもらったこともある。
今回のドキュメンタリー番組で初めて知ったのは、ここが、予定の敷地の半分をセンターに、半分を広場にするというデザインが採用されてできたものだということだ。私は最初から広場は広場だと思っていたのだけれど、じつは、広場はセンターの一部、というか、一体だった。
最初に大道芸人がこの広場に集まってきた時に、警察から追い出されたが、みな戻ってきた。
なぜなら、そこはセンターの一部であるから、センターが警察に撤去を要請しない限り、市や警察は無断で介入できないからだ。
で、いつも大道芸人が集まるなじみの光景が出現した。それは折り込み済みだったわけだ。
2000年の改修以来、図書館部分との入り口が別になったり有料部分も増えたりして、広場の大道芸人はぐっと減ったという。
最近は行っていないけれど、テロ対策はどうなっているのだろう。
広場へのアクセスは自由だから、セキュリティ検査はできない。
嫌な時代になったなあと思う。昔はセンターの外側も内側も、町の延長のような感じだったから。
昨年、金沢の21世紀美術館に久しぶりに行ったけれど、そういえば、昔はポンピドーもこんな感じだったなあ。
なつかしい。