ネットで日本の週刊誌のコラムを読んでいたら、このところ、北朝鮮からの核攻撃のことが気になってしょうがなかった、というものがいくつもあったので驚いた。
1999年の7月、例の「ノストラダムスの大予言」の終末論で、7月の終りにテポドンが東京都心に落とされるという飛語が飛び交っていた。今思うと、当時の北朝鮮の技術ではそんなことはあり得なかったと分かるけれど、とても嫌だった。
というのはちょうどその7月に私はアサヒカルチャーセンターで何日かの講座を任されていたからだ。
普段フランスに住んでいる自分が何を好んでわざわざ1999年の7月に東京都心にいなくてはならないのだろう。
ノストラダムスの「予言」にまつわるいいかげんな終末論の横行については、私は当時すでに、ノストラダムスをルネサンスのフランス知識人として解説しなおしていた。
けれども私がいくらまともなことを言っても、
「世界の終わりだ!」
と大声で叫ぶ人には勝てない。
世間は「ネガティヴなことを大声で叫ぶ人」に耳を傾ける。
そして、そんなことを全く信じていないばかりか批判をしている自分でさえ、「わざわざそんな日に東京に行くのは嫌だなあ」と思ったのだ。カルチャーセンターの仕事がなければ、日本でも神奈川県の実家にこもっていれば被害は少ない?かもしれないのに、と。
もちろん、ちゃんと講座は務めたし、何事も起こらなかった。
でも、今は、より「現実的」になった北朝鮮のミサイル攻撃からの身の守り方みたいなものをまるで「地震対策」のように流して恐怖を煽る何かの思惑が働いていて、それが、コラムニストなどの意識にある程度功を奏しているわけだ。
近頃は、日本に帰ると「フランスはやっぱりテロで怖いですか」などと聞かれることがある。
日本にいる時に「地震が来たら嫌だなあ、」とか、飛行機に乗る度に「落ちたら嫌だなあ」と思う程度には怖い。
でもこうなるともう、
ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を思わざるを得ない。
日本国憲法の前文を提案したのだか押し付けたのだかは知らないけれど、その頃のアメリカの指導層は、まだ罪悪感も持っていたし、本気でキリスト教精神の一番いい部分での人類愛とか普遍的な自由の実現を掲げていた。その「自由」がいつの間にか、「神」の愛やみ旨に発するものではなく「金」への愛や欲望に発するものとなってしまった。
進駐軍のエリートでさえ、リンカーンを読み、聖書を読み、「正義が力となるのであって、力が正義になってはいけない」などと多分その時は本気で言っていたというのに。
興国とは「謙」の賜物であって、亡国とは「傲」の結果である、と言ったのは内村鑑三の『興国史談』で、国家を存立するのは武力や経済力や領土ではなく道徳力なのだ、と言っていた。
日本は、明治の開国時のプレッシャーの中でも、敗戦の焦土と窮乏のうちにも、攻撃や恫喝ではない平和構築の優越性を確認してきたはずだ。今、ショック・ドクトリンに沿って防衛ミサイルなどの軍事産業のますます繁栄するのに加担するのを見ていると暗澹とする。