今回のフランスの新内閣の構成で、男女の同比率はきっちり守られたし、出身階層や学歴についてもいろいろ分析されていた。閣僚全部で88冊の著書があるとかいうのもフランス的だ。政治家の本はよく売れるし、フランス人は今でもクリスマス・プレゼントに単行本を贈り合うのが珍しくない。
でも、何しろ公の「人種別統計」が禁止されている国だから、閣僚の「人種」のバランスは問題にされない。
今回の唯一の黒人閣僚は、ローラ・フェッセルで、スポーツ大臣、過去のオリンピックで金メダル2度、世界チャンピォン6度を征したフェンシング選手(エペ)である。
黒人閣僚は、海外県担当大臣(別枠)を除くと、近年有名なところではラマ・ヤデやクリスティーヌ・トビラという大物がいたが、ローラ・フェッセルも含めてみな女性だというところが意味深長だ。
アメリカではオバマ大統領の登場も含めて黒人問題は今も重要テーマだけれど、フランスではかなり温度差がある。とはいえ、アメリカの影響で寄り注目されるようになっている。
3、4年前だったか、『エル』の女性ジャーナリストが黒人女性に扮した写真が差別だと問題にされた。
あるパーティで、ファンであるビヨンセの妹に扮した写真をインスタグラムにアップして批判されて叩かれ謝罪したのだ。
「黒塗り」はコスチュームではない、と抗議される。
アメリカとは歴史が違うから、差別への感受性も違う。
ヨーロッパでは「ナチスの仮装」の方が罪が重い。
1980年代初めのフランスでは黒塗りのコメディアンが「アフリカ人」というタイトルでコントをやっていた。
今なら完全にレイシストだ。
シェイクスピアの『オセロ』は16世紀以来白人俳優が黒塗りで演じてきた。ヴェルディの『オテロ』も白人歌手が黒塗りで歌う。
日本でも二期会の公演の写真を見ると、テノールの福井敬さんが黒塗りで歌っている。
劇団四季のミュージカル『ライオンキング』を東京で観たが、黒塗りではなく「アフリカ人」をメークしていた。
同じ『ライオンキング』がパリでは全員黒人歌手やダンサーだったことに驚いて、なるほどなあ、と思ったことがある。
オペラ『蝶々夫人』での白人歌手の「日本人メーク」の歴史もいろいろありそうだ。
アメリカでは白人が黒人を演じる「ブラックフェイス」というのが19世紀にジャンルとして確立した。
映画で有名なものに黒人歌手を描いたものがある。
1964年からはもちろん自粛された。
今はいわゆる「仮装大会」でしか見られないが、それでも問題になるわけだ。
フランス映画のコメディで女性のブラックフェイスを描いたのもあったっけ。
で、その逆のホワイト・フェイスというのはない。
一般に、女性の男装は、男性の女装よりも社会的に容認される。
女性として生まれてしまったにかかわらず、男性という「上位」に倣い、希求するのは上昇志向でOK。
せっかく男性として生まれたのに、女性という「下位」に身をやつすのは脱落者。
黒人の場合は、それが少し歪んで、
白人が黒人に扮するのは動物に扮するのと同じファンタジー(差別)、
黒人が白人のふりをするのは越権で許せない。
あるいは、社会的な差別体系の中で上位の者が被差別者に扮するのはそもそも「差別」の一形態であるから、逆のケースはあり得ない。
ローラ・フェッセルの場合は、競技種目がそもそも剣を使って戦う剣術だ。
そしてフランス語がつかわれるフランスっぽい競技。
記録を競う競技でなく相手を破って勝ち取る競技。
そこでチャンピォンでオリンピックの旗手も務めたローラ・フェッセル。
で、黒人。
で、女性。
2024年のオリンピック開催を目指すフランスにとっていろんな含意がありすぎる人選だ。