6/28にマクロン大統領がトランプ大統領と電話で15分話して、7/14の革命記念日のシャンゼリゼでの軍事パレードにトランプを招待したのをトランプが応諾したんだそうだ。
シリアのアサド大統領がまた化学兵器による攻撃を準備しているとかいう情報でマクロンは、オバマとオランドは見逃したが今回はそんなことがあったらフランスは単独でもシリア軍を攻撃する、と宣言したばかりで、トランプも「じゃあ、うちも」ということになったところだった。
マクロンが今回トランプを招待するのも、別にアメリカ大切でトランプに尾を振っているわけではなく、どちらかというと、プーチンをヴェルサイユに招待したように自分の権威を強化するためだということがある。
同時に、トランプがパリ協定から抜けると声明を出した時に
「私はパリ市民に選ばれたんじゃない、ピッツバーグ市民に選ばれたんだ」
などと言ってのけたことに対して、「パリ」を見せつけ、しかも、パリ協定に背を向けたアメリカを追い出すのではなく対話を続ける用意がある、ひいては懐柔する、という意味もある。
国民の祝日で派手に軍事パレードをするのは、社会主義国家や全体主義国家、軍事政権国家以外の「先進国」ではフランスだけだ。以前には軍隊パレードを見直す、と言った大統領候補者が叩かれたこともあった。その時の記事に私の考えも少し書いている。
軍隊と言えば世界最大の軍事国家はもちろん桁違いでアメリカなのだけれど、そのアメリカのトランプを敢えてパレードに招いたことは、トランプが力の誇示の好きな人だからけっこう乗り気になるだろう、という見とおしがうまくいったとも言われる。
私自身は
「力を誇示したり崇めたりするところでは魂は必ずひずみを受ける」
しかも、フランスがアメリカと組んで軍事的に目立ったりすると、またテロリストの標的になるだけで迷惑だという忌避感もある。
マクロンとトランプって「力の誇示好き」ってところで似た者同士なのかもしれない。やだやだ。
でもそもそも「国際政治」とは力の誇示で成り立っているのだとしたら、そういう人しか政治家にならないのかもしれない。
プーチンがインタビューで「力のバランスだけが力の行使を防ぐ」と言っていたけれど、彼の口から語られると、「抑止力」とか「必要悪」という言葉がリアリティを持って迫ってくる。
それでも平和への道は別にもあると信じながらジャン・ラプラスやアンドレ・ルーフの本を読んでいる。