プチパレのパリ市美術館で、「啓蒙の世紀のバロック」展を見てきた。
2年かけてパリ市内の有名教会の30点の絵画を修復したのを中心に集めたもので、なかなかすばらしい。
まず、テーマ的に啓蒙の世紀っぽくて面白いと思った、サンメリー教会で1722年に実際にあったという聖体パン(ホスティア)冒聖事件をテーマにした作品(1759年のサロン出品)を紹介。
聖体パン入れが落とされて、キリストの体であるご聖体が床に散乱。(実際は、器が何者かによって盗まれた後でチャペルの中で壊れて発見されたという)
もちろん聖職者たちはパニック。
ああ、神罰が当たる。
もし犯人がいるならもちろん火炙りだ。
でも分からないから、毎年の復活祭後の最初の日曜(カジモドの日曜日)にこの事件を忘れないためのセレモニーをすることになった。その後、それを記念するためこの絵が納められたという。
で、この絵の上部では、怒り狂った大天使ガブリエルが剣を振りかざして「罰」を与える気満々でいる。
そのそばに浮かんでいる天使の顔も厳しい。
でも、何しろ、すべての罪びとの代わりに死んだキリストの十字架を持った「宗教(女性形なので女性に擬人化)」が、まあまあととりなして、父なる神が天使を制している。
よかったね。
それまでは、「ご聖体」を貶めるなんて万死に値する冒瀆できっと管理責任も問われたのだと思うけれど、
それって、イエス・キリストが身をもって人の罪を贖ったという本来のキリスト教の精神に反しているのでは?
目には目を、歯には歯を、って良くないってことになったのでは?
すべての人は神の子で、典礼のグッズにすぎない聖体パンを貶めたからと言って命を奪われるなんておかしい。
などと、啓蒙の世紀の人々がひそかに考え始めていたのかもしれない。
いや、ホスティアがほんとうにキリストの体だとしたって、そのキリストはそれこそ自分の体を人々に差し出し、貶められ釘打たれ磔にされるままになることで「子なる神」の道を示したのだから、床に落ちたくらいで人々をパニックに陥らせるというのはいかがなものか、
と、啓蒙の世紀の「光」が問いかけたのかもしれない。
この絵が描かれた30年後に、フランス革命が起こって、教会も美術品も没収された。
この絵の所有者もパリ市だ。パリ市が、それぞれの教会やしかるべきところに返して飾っている。