
スピヌーの遺灰が戻ってきました。
白の陶器の壺か、絵柄で装飾された白の陶器壺か、エコロジカルな段ボール容器かどれにするかと聞かれました。はじめてです。値段は同じです。うちにはもうサリーとマヤの二つの絵柄付き壺があり、灰は庭に埋めましたが壺は捨てることもできず残っています。で、紙製でOKと言いました。エコロジー・ブームのせいか、いっしょに埋めたらお花が咲くという種のついたハート型の紙もついていました。
(考えたら、母の骨壺も、お骨を土に戻すように布にくるんでお墓に納めた後で、どうしますかと聞かれてそのまま引き取ってもらいました。その後リサイクルしているんだろうか。母のために「購入」した壺も前の人のリサイクルなのかなあ、と思ったことを覚えています。)
スピヌーの遺灰のそばに寄りそうイズーくん。
おにいちゃんはどこ…

ずっといっしょだよ…
....
以上、と、いうのは、2枚目以降、全部「やらせ」です。
イズーの座った横に壺を置く、
壺の上にカリカリのおやつを一粒置く、
庭から切ってきた薔薇の花にちょっかいを出しに来るイズーくん、
というのが事実です。
スピヌーが死ぬために部屋の隅に陣取って動かなくなった時、イズーがちょっかいを出したりすると嫌だから隔離しようかと思ったのですが、驚くほど関心を示しませんでした。スピヌーをさがす様子もなく、完全に気配がなくなったようです。
人間の方はなんだか「死の香り」を感じて暗澹としていましたが、イズーはただ、突然に、孤独の中にほうりこまれたようで、いつもよりも私たちに甘えていました。
猫は死ぬときに隠れるといいますが、イズーに対してはもう、完全に隠れて消えていたようです。私たちの愛撫や声かけは拒否しないで受け入れてくれたので、人間との関係は「別」で、人間の方は面倒だけどかまってやらないとだめだなあ、と気をつかってくれたのでしょう。
スピヌーの遺体を医院に持っていくとき、あまりにも「聖人」崇敬が頭にあったので、一瞬、聖遺物をとっとこうかと思いました。
白くてぴんと張った髭。
でも、こんなの、時々床に落ちてるし。
ブラッシングした毛は球にしてとってあるし。
美しい耳を見て、一瞬、この耳をとっておこうかという、聖遺物信仰の類推呪術が頭をよぎりました(ジェイコブスのホラー小説の『猿の手』とかまではさすがに連想しませんでしたが)。呪術と関係なく、なんでもいいから愛する者の体の一部をとっときたいという原始的な衝動だったのでしょうか。
すぐに、モノとしての亡骸ではなく、私のそばにいるスピヌーに現実に引き戻されました。
ぼくはここにいるよ、
って。
スピヌーに勇気づけられて、ちゃんと「喪」の手続きをすることにしました。
偶像崇拝してちゃいけない。
それにはイズーも参加してもらわなくては。
というわけで、一連の撮影となったわけです。
スピノザ、ありがとう。
このシリーズはこれで終わりです。
書くことがいっぱいたまっているし仕事も遅れているのにこれ以上ぐずぐずしていたらスピノザに叱られます。君にもらった力をきっと生かすからね。