シュテファン大聖堂の地下墓地は、ガイド(英語とドイツ語)付きの有料スペースだ。
司教霊廟は代々のウィーンの大司教と枢機卿が埋葬されている。
次にハプスブルク家の初期の大公霊廟。その後に、ずらりと並ぶ銅の壺はのハプスブルク家の人々の内臓が納められている。心臓は銀の壺の中で王宮のそばのアウグスティーナ教会の地下に安置され、遺体は棺に入れられてカプチーナ教会の皇帝霊廟に安置された。
私の関心はもちろんナポレオン二世だ。ハプスブルク家的には、「ライヒシュタット公爵」だが、棺にだけは、ローマ王として生まれ、三歳で半月間フランス皇帝ナポレオン二世になったことが記されていた。その棺はハプスブルク家を嫌うヒトラーによってフランスに移されたが、心臓と内臓はウィーンに残っている(『ナポレオンと神』(青土社)にいろいろ書いています)。
でも、内臓はヒエラルキーが低すぎるのか、壺も地味で、どれがナポレオン二世のものか私には分からなかった。
その後、墓石や彫像の展示場所を経て、聖堂参事員たち(聖職者)の埋葬場所を過ぎると、18世紀に付け加えられた公共墓地につながっている。部屋が冠でいっぱいになると壁でふさがれ、40年間で1000人が埋められたが、圧巻はペスト墓地で、ペスト流行の時に穴に投げ込まれた遺体の骨が折り重なって積まれている。1783年に閉鎖された後うっちゃられているのがそのままのぞけるので、何だか、まだ、伝染病がうつるんじゃないかと思うくらいにリアルだ。
パリのカタコンブよりも即物的な感じだ。
こんなに多くの「死」の形骸を見せられると、自分が霊能者などでなくてよかったとほっとする。
同時に、そうか、「生」の形見は骨か、骨なのか、と思えてきた。
骨という形になれば、古代のパレスチナの使徒の骨でも、真偽の分からない「聖人」の骨でも、18世紀にペストで斃れて無造作に投げられた庶民の骨でも、みな時空を超えた「あちらの世界」を共有している魂によって平等な形見になるようなのだ。
そういう写真は載せても陰気なので、ここでは宝物庫から見た大オルガンの裏側や奏楽の天使像を載せておこう。