こことか
ここなどで書いているように、むしろ、機内では自由な本音が聞けるのかという印象を持ってていたが、実際は、機内でジャーナリストに囲まれるときはライオンの檻に投げ込まれたような気がする、のだそうだ。映像を見るといつも通り自然体でリラックスしているように見えるのに。
確かに、機内では、絶対に逃げられない、これで終わりにします、といって奥に下がることもできない。
ローマ教皇になったことについても、まさか自分がバチカンという檻の中で一生を終えることになるなどと思ってもいなかった。でも、内的には自由のままでいる、と言う。
飛行機も檻、バチカンも檻。
気の毒だ。
気の毒と言えば、42歳で精神分析にかかったことがあるという話も出てきた。
自分の中ではっきりさせたいことがあったからだと。
教皇が42歳と言えば、1979年あたり。
1973年に36歳の若さでイエズス会のアルゼンチン管区長に任命されたことの重圧の他に、1976年から1983年の軍事独裁政権があった。イエズス会士にもコミュニストとと共闘する者が現れ、「解放の神学」がローマから批判された時代だ。 この時代の中南米におけるカトリック教会と解放の神学とコミュニズムの関係の変遷については、今執筆中の「神、金、革命」(仮題)にくわしく書いた。
この時代に、後にブエノスアイレスの大司教となり教皇にまでなるベルゴリオ神父は、独裁政権に迎合したと言われたり、いや、レジスタンスの立場にいたと言われたり、解放の神学に対しての姿勢の曖昧さを問われたりと、なかなか微妙なスタンスにいた。時の教皇に絶対服従のイエズス会士の立場を貫くのか、軍事独裁政権によって抑圧されている弱者の側につくべきなのか、さぞや迷いがあっただろうと思われる。
ちょうどその時期に、精神分析を受けたというのだ。
自分の中ではっきりさせたいことがあった、からだと。
神は答えをくれなかったのだろうか。
いや、神がどのように何を通して答えをくれるのかなんて、人間の想像力を超えているのだろう。
現役のローマ教皇が、宗教や救いというテーマでなく、ずばり政治と社会をテーマに語る。
全部読んでからまたコメントすることになるだろう。