(これは前の記事の続きですが、前の記事に「追記」を加えました。合わせてお読みください。)
国立図書館のフリーメイスンの展示の中で、アンジェロ・ソリマンの肖像画が存在感を放っていた。モーツアルトハウスでも同じ肖像画が展示されていた。

モーツアルトとソリマンを絡めてウィーンのフリーメイスンを語ることは、そこが知的で芸術的で自由で平等な啓蒙の世紀のサロンだったことを強調するのにぴったりなのだろう。
ソリマンはとにかくあらゆる点で秀逸な人で、これほどの人を前にしたら、教養のある人士ほど本気で傾倒したことはたやすく想像できる。知識人とアーティストは、人種のカテゴリーを超える。けれども、死ねば、ソリマンはただの黒人だ。黒い肌だけが残る。そして、黒人は「動物」と同じだという集団的な偏見に組み伏せられてしまった。ソリマンとはどんな人だったのだろう。
ソリマン(1721-1796)は今のナイジェリア北部で生まれ、子供の時に馬一頭と交換されて奴隷としてヨーロッパ人に売られた。10歳まではラクダの世話係をさせられていた。すでにその頃から、利発だったのだろう。その後でシシリアの富豪に引き取られ、その妻から語学と数学の教育を与えられ、1732年にカトリックの洗礼も受けてアンジェロ(天使)という洗礼名を得た (本名はMmadi-Makeだったらしい)。ヨーロッパ白人の仲間になる第一歩だ。洗礼を受けた9月11日を自分の誕生日だとした。その後で帝国の執政官に売られ、執事となった。
執事長として主人と共に旅行し、戦争にも行き、戦場で主人の命を救った。
服装のセンスも群を抜いていた。肖像画は29歳の頃の姿だ。英・仏・伊・独・ラテン語にチェコ語を自在に操り、剣術、航海術、チェスの達人で、作曲もした。
1755年、ウィーンで、主人の死の後32歳でリヒテンシュタイン公に仕え、皇太子の教育係にもなった。1764年リヒテンシュタイン公と共にフランフルトに行き、「ファラオン」を演じて得た大金をオーストリア東南部のコバルト鉱山に投資してさらに儲け、解放されて独立した。1768年にはウィーンの中心部でアルザス貴族出身の未亡人マグダレナと結婚した。ナポレオン軍の将軍も出した家系だ。結婚はシュテファン大聖堂の枢機卿による特別の計らいで実現した。
オーストリア皇帝ヨーゼフ二世も彼を敬愛し、名実ともにウィーンの名士となっていた。
この時点では、彼は本当に尊敬されていたのだと思う。「黒人なのにすごい」という偏見はなかったと思う。
ヨーロッパ人の中で圧倒的に目立つ黒い肌だから、その「見た目」は無視できないと思うかもしれないが、ヨーロッパのエリート階級は、一般に、ある状況(この場合は知性や教養や芸術や武術)のサークルの中では、人種差別をしない。建前や偽善ではなくて、本気で同胞になってしまうのだ。特に、伝統的なカトリック国(つまりアイデンティティ意識がもう希薄になっているユルイ社会)ではその傾向が強い。この点では日本の方がずっと「見た目」による偏見や差別がすべての階層に根強いというのが、今の時代でも通ずる私の実感だ。
ソリマンの孫のEduard von Feuchtersleben も高級官吏となり、作家として名を残している。『モンテクリスト伯』で有名なデュマの父も黒人奴隷と白人のフランス人との間に生まれていた。啓蒙の世紀のエリートたちに認められた点で共通している。
で、ソリマンとフリーメイスンとモーツアルトの関係は?(続く)