問2 あの世とはコミュニケーションがとれるの ?
カトリックの信徒は、神、聖母、聖人たちだけでなく死者にも、神のとりなしを祈って語りかけます。それは仲介者なしに神との直接の関係をとらえるプロテスタントの信徒から見ると奇妙なことです。一方、カトリック教会は、死者の霊(エスプリ)が生者にコンタクトするという考え(スピリティズム)の類は一切認めていません。
Sekkoのコメント :
聖人崇敬というのはとってもカトリック的で、プロテスタントから大いに批判された部分だが、聖者の連祷というので聖人の名がぞろぞろと唱えられて、その度に「われらのために祈りたまえ」と唱和するシーンというのは、ロザリオと同じく、連帯感が生まれたり、まあ数の力で、こんだけ呼び出せば何とかなるかも、という楽観も生まれたりと好む人が多いせいか、今もしっかり続いている。
元は、ヨブ記にあるという説もある。ヨブ記では、ヨブに苦しみばかり与える神を信じなかったヨブの友人たちに対して最終的に神は妥協する。
(主は)テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」 (ヨブ記42,7-8)
つまり、不信心者も、聖人にしかるべき例を尽くして神に祈ってくれるようお願いすれば、聖人に免じて神が願いをかなえてくれる、
というイメージだ。
聖人ならぬ普通の死者に呼びかけてお願いしても果たして神の心に届くのか、と当然考えてしまうが、いったんこの世の存在形態からシフトした世界では、こちら側で判断してしまう善悪だとか聖性だとかの物差しは多分意味をなさないのだろう。
どちらにしても、ふたつの世界は「神」を通して神の中でこそつながっているわけで、「死者の魂」が直接生者にコンタクトをとるなどというシステム?を放置すると、あやしい霊媒やら超能力者やらが跋扈することにもなるので、カトリック教会は禁止しているわけだ。
でも各種の聖人伝やら、熱心なカトリックの「霊能者」の手記などを読むと、どんな「霊とのコミュニケーション」でも、それがもたらす「結果」さえOKなら、神のみ旨にかなっているということでお目こぼしされたり、それとなく宣伝道具にされたりする現実もある。
次の質問と答えが楽しみ。