ローマ法王の異端糾弾、と言っても、ローマ法王が誰かを異端だと言って糾弾しているのではない。
糾弾されているのはローマ法王その人なのだ。
家族に関する司教会議の後でフランシスコ教皇が出した教勅「Amoris loetitia」(2016/3/19付け、公開は4/8)について、すでに、同年6月に、枢機卿会筆頭のアンジェロ・ソダノ枢機卿に対して、45人の神学者が連名で、教勅の中の19の提案について批判の手紙を出した。それらの提案は、異端を暗示し助長するものだという。
さらに、2017/8/11、ついに、62人の連名で、今度は教皇に直接長い手紙が送られた。
その「異端の伝播に関する副次補正」が9/24に公開された。
最初の部分は、このように教皇を批判することが自然法においても、キリストの法においても教会の法においても正当であることを説明するものだ。「歴代教皇たちの教義における不可謬性」と両立しないことを教皇が言った時に信徒はそれを批判する権利がある、ということだ。
この教勅とそれに関する教皇のコメントは教会内に信仰とモラルに関するスキャンダルを引き起こした、モラルや、結婚や、聖体拝領の秘跡について司教たちが神の啓示による真実を護ろうとしている時に、異端の言説がまかりとおり、教皇から叱責されないで黙認されている。
逆に教皇に疑問を呈した者には沈黙によって無視している、と言う。
疑問というのは教皇からの返事がないというので2016年11月に公開された4人の枢機卿による質問状のことだそうだ。
今回の「補正」が「異端」とするのは、再婚者が聖体拝領を受けて「救い」至ることができる可能性についての提案(2)などを含む七つである。
そして今カトリック教会がこのような状態に至った理由はふたつある、という。
1. 神は教会に最終的な真実を与えてはいないという近代主義解釈
2. マルティン・ルターが教皇に及ぼす影響
だそうだ。
もともと第二ヴァティカン公会議以来、カトリック教会がプロテスタント化したという批判は常に内部で存在した。
今回の62人は国籍も多様でそのほとんどが神学者か大学教授、聖職者も信徒もいる。
フランシスコ教皇が全面改革を目指すヴァティカン銀行の前責任者のエットーレ・ゴッティ・テデスキ(2009年に解雇された)や最近ルーヴァンのカトリック大学から追われた哲学者ステファン・メルシエ、アンチ・イスラムのビデオ発信で知られるパリの司祭ギイ・パジェスも名を連ねているから、政治的な匂いもする。
聖ピオ10世会の総長ベルナール・フェレーの名もある。
聖ピオ10世会は2009年に破門を解かれ、フランシスコ教皇からは赦しの秘跡の有効性を認められた。
そのことを、ヴァティカンとの妥協だと見なして不満な会員に向けててのスタンドプレーかもしれない。
フランシスコ教皇が、
バリバリの伝統主義者に手を差し伸べることと、
排除されていた再婚者に手を差し伸べることは
どう考えても同じ「寛容」の裏表だと思うのだが。
政党でもそうだけれど、なんでもかんでも踏み絵を踏ませて党首の色一色で全体主義に道をつけるよりも、多様性を共存させる幅や懐の広さや深さというのは大切だと思う。