これは前の記事の続きです。
問5 煉獄はやっぱりカトリック限定 ?
みんなあの世では神に出合いたいと思っています。けれどもどうも、神の前に出るのにふさわしくない、という思いにもとらわれています。煉獄は、人間の不完全さと普遍的な万人救済の考えをとりなすために考え出された神学的構築です。でもそれは聖書の中には書かれていませんから、プロテスタントも東方正教も認めていません。今のカトリック教会は煉獄は「罰」ではなく、神に会う前に神の聖性に見合うように自分を変える時間だと考えるようにと勧めています。
Sekkoのコメント
なるほど。「煉獄」の「煉」という字や、他の言語での浄めるというイメージから、火や水などをくぐってのみそぎ、「垢離」というイメージがあり、しかも何かみんな一緒くたに共同浴場みたいに投げ込まれるという画像がよくあるけれど、「内省の時間」と考えるといいのか。
ほんとうならば生きているうちに反省して後悔したり罪を償えれたりできればいいのだけれど、なかなか難しい。心にやましいところがまったくなく死んでいける人は多分少ないから、死んでからも内省の時間がまだあるといってもらえるのは、それだけで結構救いになるかもしれないなあ。
(死んでからは実際どうなるか分からないけれど、何か「罪」を犯したと自覚した人が、どうせ地獄堕ちだと思って自暴自棄になるよりも、まだチャンスがあると思って生きているうちに生き方をリセットできた方がいいとは思う)