問6 パラダイスって少し退屈なところでは ?
天国を表現する多くの画像や言葉のほとんどは、私たちの地上の生活における「幸福」にヒントを得たものです。
聖書にも、「婚姻の宴」のイメージが出てきます。
「至福」とは、人々が慰められ、安心を得たイメージです。天国の「幸福」とは宴で飲んだり食べたりするような「身体活動」ではなく、沈思、瞑想に近いものでしょう。
Sekkoのコメント
永遠に飲んだり食ったりと宴を続けるのは確かに退屈というか飽きてしまう。でも、じゃあずっと瞑想、黙想して「安心」(儒教や仏教的な安心立命や悟りの境地の意味でも)にとどまるというのもひょっとして退屈かも。というか、もう死の恐怖はないのだから、「安心」を得ても意味がない。それなら、まだ地上にいて安心を得られず苦しんでいる人たちのために何かできないかトライした方が死後の生き甲斐( ?)があるのではないだろうか。
実際、多くの聖人、聖女たちは自分たちは結構苦しんで死んだのに、死ぬ前に、「死んだらあなたたちのためにがんばります、あてにして祈ってください」と言い残して、死後に「効験あらたか」になっている。生前苦しんだ人ならば天国で宴会もいいし瞑想もいいが、戦争や飢饉や災害や犯罪に巻き込まれないで健康で長生きしたような人は「霊」となってからこそ発揮できる(かもしれない)ご恩返しを、残された人たちにする決意を死ぬ前に持っておこう。(だめもと)