私が日ごろ言ったり書いたりしている実感に、
時代と共に人間社会の暴力は確実に矯められてきている
というのがある。
核兵器だとか、過激派のテロだとか、心を病んだ人による大量殺人とか、女性や子供、高齢者、障碍者など弱者への虐待などのニュースを見聞きすると、暗い気持ちになりがちだ。
けれども、そもそも、私のような、百年前に生きていたなら立派な弱者で踏みつけにされているだろう人間が、自分の部屋でぬくぬくと、世界中の悲惨や暴力の実態を眺めて悲憤したり絶望したりするという状況自体が、人類史的に考えてもすごい。
ピケティの新資本論ではないけれど、膨大な統計を駆使して、30年もかけて、「今は昔より良くなっている」という「福音」を知らせてくれる本がある。
2011年に出たのが最近ようやくフランス語訳出版された。1000ページもある大作だ。
17ヵ国語に翻訳されているというから検索したら日本語訳は見つからなかった。
英語版はこういうの。
「今までで読んだ中で最も重要な本のひとつ」って、ビル・ゲイツの推薦文もある。
スティーブン・ピンカーの『The Better Angelsof Our Nature』で、副題が「暴力と人間性の歴史」だ。フランス語訳のタイトルは『La partd'ange en nous 私たちの中の天使の部分』で副題が「暴力の凋落」という。序文が、フランス人でチベット仏教僧になった有名なマチュー・リカールによるもの。
人間性の中にある天使というのは、リンカーン大統領が1861年の就任演説の最後に出てくる有名な部分だ。今日本語を検索したら、
「われわれは敵同士ではなく、味方なのです。われわれは敵同士になるべきではありません。感情が高ぶっても、われわれの親愛のきずなを切るべきではないのです。思い出の神秘的な弦が、全ての戦場や愛国者の墓から、この広大な国の全ての生けるものの心と家庭へとのびていて、再び奏でられるとき、統一の音を高らかにならすことだろう。その音は確かに、われわれの本来の姿であるよい天使によって鳴り響くことだろう。」と出てきた。
まあ、今、生存している私たちは、当然、生き残ってきた人たちの子孫だ。ひどく暴力的で反社会的な人たちは長い間には社会的に淘汰されていくだろうから、全体として共生に向いている人が増えるのは社会進化論的にも当然だともいえる。
それにしても、世間では、ネガティヴな言説、危機を煽る言葉ばかりが幅をきかせている。その方がインパクトがあって「売れる」からかもしれない。
総体的に暴力の少ない社会で「国難だ、国難だ」と叫ぶ政治家もいる。
昔はよかった、過去の栄光をもう一度、という人たちもいる。
もちろん、リンカーンの言葉も、その理想とは裏腹に、150年経っても、アメリカの差別も暴力も残っているじゃないかと言われそうだけれど、たまにこういう高邁な演説を読み返すのは精神衛生にいい。日本国憲法の前文だって、現実と乖離していても、読むとほっとする。
ピンカーさん、ありがとう。