これは前の記事の続きです。
問 8 天国を信じてない人も救われるの ?
マタイによる福音書25章の中でイエスは、天国に招かれる義人を生前の行いによって分けています。信仰の有無についてはまったく触れていません。教会の成員になることは心が伴わないなら「救いの保険」ではありません。逆に、別の宗教を通して神を識った人や、良心によって明らかにされた神のみ旨を成就しようとする人は救われることが可能だとカトリックのカテキズムは保証しています。
Sekkoのコメント
おお、第二ヴァティカン公会議による革命的転換、教会の外にも救いはあり得る、というやつだ。
マタイの25章というのは、だれでも、弱者に手を差しのべる人は神のもとに呼ばれるというものだ。当然ながらイエスの時代にはキリスト教とかカトリック教会などがなかったわけで、ユダヤ教の律法遵守主義と救いは関係がない、と言いたかったのだろう。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
というやつで、これがあるから、今の教皇が「難民受け入れ」を基本としているのも無理はない。とても、シンプルで、とても難しい。
でも、もし自分が衣食住に事欠いたり病を得たり捕らわれの身になったりしたら? という想像力が少しでも働けば、この言葉そのものが「救い」だと思えてくる。
今回のコンサートについてニテティスブログに記事を載せました。