問 13 復活って結局なあに ?
「肉体」の復活を語る時、キリスト者の信仰は、ある人格がその全体性の中で生きる新しい命のことを宣べています。人間とは、肉体の牢獄に閉じ込められた霊魂ではありません。もし私たちの霊魂だけが神のもとに行けるというなら、それは私たちそのものではありません。私たちの肉体は、その物質的な構成においてはそのまま「よみがえる」わけではなく、塵にかえるでしょう。ですから、肉体の復活というのを死者のよみがえりと混同してはいけません。教会は火葬を許可しています。
Sekkoのコメント
中世のカトリック世界では、信徒の火葬はもちろんあり得ないし(だからこそ異端者は火刑に処せられた)、最後の審判の時に復活するためのモデル像を棺の上に刻んだりした。
本家のイエス・キリストが、両手や脇腹の聖痕を残したまま「復活」したらしいのに、時にはもっとひどい殺され方をした殉教者たちは、死んだ後で傷が消えて美しい姿になっていたという伝説に事欠かない。誰でもゾンビのような蘇生の仕方はしたくない。
十字軍の遠征中に遠方で死んだ騎士などは、さすがに埋葬するために遺体を持って帰れないので、遺体を煮て骨だけを持って帰ったというような例もある。どこの文化でも、朽ちていく「肉」に比べるとそのまま残る「骨」に永遠を託すことのできるエッセンスがあるという考え方はあった。
まあ私は、霊魂だけが転生を繰り返してステージを上げていくとか、霊魂はもともと神から放射されたものが一時的に肉体にとらわれたものだというようなタイプの死生観には、前世の記憶がない限りあまり興味がない。霊肉セットとなった存在形態が別の次元にシフトして今の記憶や生者との関係性を保つことができるという考え方の方が抵抗がない。