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L'art de croire             竹下節子ブログ

ジャン=リュック・イエネールの『地獄』Jean-luc Jeener

ジャン=リュック・イエネールの『地獄』

完全にマイ劇場と化したThéâtre du Nord Ouestのこれも完全にマイ戯曲家(今回は出演もしている)と化したジャン=リュック・イエネールが「宗教とライシテ(政教分離)」のシリーズで問う新作『地獄』を観に行った。


重病のもたらす痛みに耐えられずに自殺願望を口にする重篤の夫を前にして悲嘆にくれる女性のところに、夫の友人である一人の司祭と一人の女性歴史学者が呼ばれる。同時に夫から呼ばれていたのは黒い長い司祭服を着てやってきた保守的な教区の司祭だった。彼は死にゆく男の最後の告解を聞いて赦しを与えてから終油の秘跡を与えて魂を天国に送るというのだ。

男は幼児洗礼は受けているが、教会から離れた無神論者だったはずだった。

妻も友人たちも驚く。

男は人格者であり、友人である司祭にとっては、無神論者であろうとなかろうと、男はその愛のわざによって救われている。告解をきいてやるなど考えたこともなかったし、男がそれを望んでいるのも知らなかった。

男の妻は、男が自殺するのをとめたい。


告解して秘跡を受けたその後で自殺しても天国に行けるのですか?

と司祭にたずねると、それはダメ、地獄に堕ちる、と保守派の司祭は断言する。


それを聞いている進歩主義の司祭は苦笑い。

彼にとっては、神はイエス・キリストを送って人の心につながることでアダム以来の罪を救ったのであって、何をどうしたらどこに行くとか行かないとかの理論はもはや本質的ではないからだ。

けれども、死の瀬戸際にある人間にとって、は元気な頃の思想信条がどうあれ、救われるのか救われないのか、などという言葉のディティールが思いがけない重みを持ってくる。


宗教史の女性学者マリーは、アリウス派についての研究書を出していて、保守派の司祭もそれを読んでいた。

何が異端で何が正統になってきたのかという歴史を研究していたら、その産物のひとつである一教派の教えを絶対化する教条主義など無知蒙昧の証しであると見えてくる。

「あなたのように、カトリック教会が人を脅かすための古臭いメソードである地獄をいまだに振り回している人を見たら、カトリックを捨てた自分の判断が正しかったとあらためて思うわ」、とマリーは保守派司祭をあざ笑う。

 

果たして、死の床にある男が3人にあてた手紙が開かれ、その中には、若い頃に誤って犯した殺人についての告白が記されていた。

死が近づくにあたって、その罪の重さは彼を苛み、社会的には時効が成立しているが、司祭による神の「赦し」を必要とする心境になったということであるらしい。

衝撃が走る。


自分たちの第一の務めは「魂を救う」ことだ、と「やる気満々」の保守派司祭。


死の前の弱い状態だからと言って、友人がそんな蒙昧の世界に舞い戻ることは許せない、正気ではない、と思う歴史学者。


そして、今そこにいる「友人を愛し、寄り添う気持ち」の方が、所詮神の業でしかない「魂の救い」に優先するという実感の中にいる進歩派の司祭。

その彼も、友人が、「魂の救い」について司祭である自分に頼ってくれなかったこと、別の司祭を呼んだことに対しては苦い思いを禁じ得ない。

そういうそれぞれの思惑が、ただただ絶望し嘆きわめく、男の妻のつくり出す絶望と怒りの空気の中で微妙にからみあってくる。


「死ぬ時まで神を信じ続けられるのか」「死ぬ時にこそ神を信じられるのか」、などのいろいろな人間的な疑問が2人の司祭と反カトリックの学者との間で互いにエスカレートしたり壁に突き当たったりする。

うーん。すごくフランス的だ。

結局、一見かなり「普通のフランス人家庭」であったこの「夫婦」であろうと、司祭になった男たちであろうと、どういう立場であれ、もとは「普通に幼児洗礼を受けた人たち」であるわけだ。それが、長じて無神論的イデオロギーに出会ったり、あるいは普通の意味で、子供が親の影響から逃れ出て自立する過程の一部として、「カトリック的なもの」と決別したりする。

その中で敢えて、「イエス・キリスト」と出会った者、「呼ばれた」者は、司祭の道を選ぶが、その間には「信仰の夜」を経験するなどいろいろな試練がある。それらを経て、なお司祭としてとどまった者は、「信仰」を内的なものとして人々との愛の中に生きようとするか、人々との「魂の救い」のためにがんばるか、という道に分かれる。

日本なら、神社でお宮参りをしたとか七五三を祝ったとかいう「家庭の行事」について大人になってからその宗教的意味を自問する人などまずないだろう。クリスマス・ツリーのそばにあるサンタクロースからのプレゼントをもらった思い出について宗教的なアイデンティティに悩む人もいないに違いない。

キリスト教の歴史についていろいろな角度から調べているという点では、この芝居の中に出てくるマリーと私は似たような立場だ。異端の歴史を始めとして歴史的展開を見ていると、いわゆる教義のようなものがどんどん相対化されていくのもよく分かる。

でも私の場合は、それによってキリスト教の呪縛から解放されていくというのはない。最初から縛りがないからだ。

神が存在するとかしないとかを考えることなしに初詣で手を合わせて賽銭を投げることに抵抗がない多くの日本人と同じく、現実のキリスト教の組織が官僚化していようが偶像崇拝があろうが、それに対する拒否感から神を信じられなくなる、というような深刻な悩みなしにキリスト教シンパとして研究もすることができる。

神との関係も多分、良好。神が困っていたらなんとか助けてあげたい。

たとえ神と出会えなくとも、神を探している人たちと出会うのは大好きだ。

日本でなら、こんなふうに言ったところで、「無神論者」から馬鹿にされたり攻撃されたりすることもない。

でも、フランスで、こういうテーマを正面から取り上げるのは、21世紀の今でもやはり勇気がいるだろう。無神論者を攻撃するイスラム過激派との確執が深くなっている今ではさらに微妙なテーマだ。

芝居が終わってからイエネールと話した。

今回はThéâtre du Nord Ouestの小さいほうのホールが使われた。

観客は15人か20人くらいだった。席が全部埋まっても30人くらいしか入らない。

この芝居については、今回こちらのホールを使いたかった、ここでは、観客の重力が伝わる、感じられるとイエネールはいう。500席の劇場では絶対にない感覚だという。

観客としての私は逆だ。前の席に座っていると、登場人物と1メートルしか離れていなかったりするので、そんな登場人物たちが同じ場面にいる私たちに気づいていないかのようにお話が展開するのを見ていると、まるで自分が透明人間になったような気がするのだ。

私は芝居の登場人物らを見ているのに、彼らは、私を見ていない。私は見えていない、という感覚だ。でも、役者たちは、私たちの重力をずっしり感じているというのが意外だった。いや、透明人間だからこそ、重力だけがひしひしと伝わるのかもしれない。


そこに、保守司祭の役を演じたジャン・トムが加わって、イエネールは自分とは正反対の進歩派の司祭を演じて大変だったよね、みたいなことを言った。イエネールは、いや、愛し合うという福音が一番重要だというのはぼくの意見でもある、と答えた。

イエネールはがちがちの保守派と見られているとでもいうのだろうか?

カトリック作家であると自動的にそう思われるのだろうか。

私は彼の著作をキリスト教についてのものも含めてかなり読んでいるので、彼のリベラルなアーティストの感性と、信仰の真摯さというもののバランスをかなり良く理解できる気がしている。神学者でもあり、「受肉の演劇」「キリスト教戯曲」の意味を追求し続けるイエネールの文字通りすぐ近くでたまに時間を過ごせることは本当に贅沢だと感謝する。もっと続きますように。


by mariastella | 2017-11-20 00:05 | 演劇
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