マクダ・ゲッベルスの話公営放送で、ナチスの宣伝相として悪名を馳せたヨーゼフ・ゲッベルスの妻マクダの生涯を語るドキュメンタリーを視聴した。 ナチスの「悪の権化」みたいな人たちは、ハンナ・アーレントが『悪の陳腐さについて』で凡庸な小役人風情のアイヒマンを描写して以来、ヒトラー以外はみな、「すべての人が抱えていて時と場合によって発露する悪」の中に相対化というか回収されていった印象が私にはあった。 そのヒトラーでさえエヴァ(エ-ファ)・ブラウンとのかかわりをたどったドキュメンタリーを見ていると、「人間」の部分が見えて先入観が揺らいだことがある。 ヒトラーも立ち会った結婚式はなぜか夫妻とも黒づくめの衣装だった。 もっともマクダは、ヒトラーの演説を聴く前にゲッベルスの演説を聴いてナチスに入党する決心をしたくらいだから、ゲッベルスにも心酔はしていた。 よく揶揄されるけれど、ヒトラーの掲げるアーリア人、ゲルマン人のイメージとは両者ともずれていて、ヒトラーは黒髪に近かったし、ゲッベルスは小柄で、ポリオの後遺症で足の長さが違い、補助具をつけた右足を内側に曲げて足を引きずっていた。なで肩で貧相だ。 彼らに比べるとマクダは、アーリア美女の典型だったし、ゲッベルスとの間に9年で6人も生んだ子供たちもみな金髪碧眼風の「ナチス・ドイツの子供たち」のイメージにぴったりだった。実際、この子供たちの週間ニュースが映画館で流されるなど、マクダと子供たちはナチス・ドイツの理想の家庭のプロパガンダとして使われた。(子供たちは、ベルリン爆撃の時には無理やりベルリンにとどめおかれて、ヒトラーとエヴァの自殺の後で、後を追って死ぬゲッベルスとマクダから毒殺された。) 子供たちが整列したり駆け回ったりする映像は、『サウンド・オブ・ミュージック』の7人の子供たちにそっくりだ。実際、地下壕の中でヒトラーを慰めるために歌を歌わされていたそうだ。 このマクダは、ゲッベルスの前に、ギュンター・クヴァントという大富豪の貴族と結婚していた。20歳で生んだハラルトという息子はのちにゲッベルスの養子になった。 この富豪はBMWなども所有しているマルチ企業のトップだったそうで、この人との離婚騒動でマクダは莫大な財産と年金を獲得する。もともと美術史家か弁護士になりたかったというマクダは、その資金でいわばベルリンの社交界の花形、サロンの女主人のようになって、いろいろな浮名を流していた。 しかし、29歳という、当時としては女性としては下り坂に向かって人生の意味を失いかけていたころに、ある貴族のナチ党員に声をかけられてゲッベルスのミーティングに出かける。右手を上げさせて聴衆を巻き込むカルト的な熱狂に感嘆してナチスのイデオロギーにのめりこむことになるのだ。 ゲッベルスも博士号を持つ知識人だった。マクダとゲッベルスは哲学やイデオロギーについて何時間も議論したという。 マクダは決して、単純で世間を知らない女性などではなかった。 幼い時に父と分かれ、ベルギーの寄宿舎に入れられたことでフランス語やオランダ語も話すマルチリンガルだったし、母の再婚相手で養父となったユダヤ人のリヒャルト・フリートレンダーともうまくいっていたし、実父が大学入学の学費を出し、18歳でユダヤ人のハイム・アルロゾルフと大恋愛をしてシオニズム運動に加わり、ダビデの星をアクセサリーにしていたという過去まである。(のちに、フリートレンダーも、イスラエルに渡ったアルロゾロフも殺されているのは偶然ではないだろう) マクダは自分の自由と放縦が、貴族の大富豪である前夫の金で成り立っているのを知っていた。だから、初めは、「国家社会主義」と「社会主義」を掲げるナチスとの接触が外からの目にも微妙だった。 頭がよくて野心があって自立心がある若い女性が、ユダヤ人に共感してシオニズムの応援をしたり、ナチスの掲げる「社会主義」の理想に洗脳されたりというのは理解できるけれど、自分のブルジョワとしての立場とそれをどう両立していくかは別の問題だった。財産を守り年金を失わないために絶対に「共産主義」にはいかない、というのが境界線だったのだ。 結果として、社交界の花形だったマクダを取り込むことが保守本流の警戒を解き、ブルジョワ保守派も含めてドイツ全体が国家社会主義という名の独裁政権を許してしまう一助ともなった。 ところが、ゲッベルスと結婚してからは、ファースト・レディとしてヒトラーのそばにくっついていられる時期はそう長くなく、「女性は家庭に入って子供に食事をさせる」という戦時ナチスの「理想」の看板にさせられてしまうわけで、それは自由と自立と野心のあるマクダの望んでいたことではなかった。 で、ゲッベルスの方はどんどん権力を持ち、女優と浮気をし、マクダは離婚を望むが、ヒットラーにとめられてヒットラーがその女優を追放して危機をおさめるなどの綱渡りが続いていたのだ。 結婚はしない、自分はすべてのドイツの子供たち(ユダヤ人や障碍者はドイツの子供とはみなされない)の父であると称するヒトラーにとって、別荘にやってくる金髪碧眼のマクダの子供たちをかわいがる「慈父」のプロパガンダ映像は価値のあるものだった。 いつもながら、どこにスポットライトをあてるかで歴史の見方や共感の仕方はころころ変化する。このような稀有な運命の末に子供たちを殺害して自分も死の道しかないと悟った女性の悲劇と、ユダヤ人というだけである日突然逮捕されて貨物列車で収容所に連行されて子供たちもろともガス室で殺される女性の悲劇を比べること自体には意味がない。 でも、私たちは、この悲劇の両方から学ぶもの、学べるものがある。 特に、女性たちは、金、神、知識体系、イデオロギーのどの位相にも内在する性差別も同時に被ってきた。 アンネ・フランク、エティ・ヒレスム、エデット・シュタインら貴重な記録を残してくれたユダヤ人女性の証言は何度も反芻する価値がある。同時に、権力者の伴侶として「悪」に加担してきた女性たちが犠牲に供されてきた歴史の検証も絶対に侮れない。 私はこれまで、その中で独自の場所を占める「女神」「聖母」「聖女」「女性教祖」らの生き方と生かされ方と語られ方に特に興味を持ってきたが、もっともっと複眼的な視点を盛り込んでいきたい、とマクダ・ゲッベルスを見て考えた。 歴史に翻弄されて命を絶たれた人たちの死を無駄にしてはいけない。 何に対して「ノー」と言い続けるべきなのかを学びたい。
by mariastella
| 2017-11-23 00:05
| 雑感
|
以前の記事
2024年 09月
2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 未分類 検索
タグ
フランス(1210)
時事(695) 宗教(512) カトリック(484) 歴史(298) 本(245) アート(203) 政治(175) 映画(155) 音楽(106) フランス映画(94) 哲学(86) コロナ(76) フランス語(73) 死生観(60) 日本(51) エコロジー(46) 猫(45) フェミニズム(44) カナダ(40) 最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||