日記 その5
2/13 内山愚童についての論文を読みかえしている。
その中で、高邁な殉教者である愚童と同時に大逆事件で死刑判決(無期懲役に減刑)を受けた臨済宗妙心寺派僧侶の峰尾節堂という人の獄中手記「我懺悔の一節 わが大逆罪事件観」を読んで悲しくなった。
25歳の若輩で、社会主義に本気で共鳴したのではなかったにせよ、もう捕まったのだし、どうせ助からないなら少しは「立派なこと」を言ってもいいと思うのに、仏教的なものは何もなく、卑屈そのものだ。
「次に私自身のことですが、これは又今迄の諸君と異って、家に資産も無ければ、 自身に學問・地位の有るでもなし、最も眞面目に正直に而も謹慎に日常を送らねば ならぬ筈の處、御愧しいが一番不眞面目であった。…當時は、私は或る賣女に戀慕して本心を失ひ、有らう事か母の貯金の二百圓ばかりの金を盗み出して、日夜其の女の許へ其の歡心買ふべく湯水三昧の放蕩最中でした。初めから社會主義なるものを眞理と信じてゐた譯でもなければ、又そんな主義とか何とかの公共的事業に携はるべき資格は無論自身には無いと自覺してゐながら、唯只地〔知〕名一部の名望家、即ち多少社會的地位の有る大石と云ふ紳士と交際してゐるといふ事が自己の誇りと やらに思ふて同氏の家に出入りしてゐたのだから、殊に自分は今申上ぐる通りに賣女に迷ふて堕落してゐた當時だから、何んの幸徳氏が眼中に在らんや。」
判決を受けて8年後の大正8(1919)年3月6日、監獄で流感に罹り、34歳で病死したという。
僧籍を剥奪されていたのが平成8年3月25日、節堂が住職であった真如寺の住職と責任役員から「赦免、復階及び復権請願書」が提出されたのを承けて、臨済宗妙心寺派は同年9月28日、節堂の復階と復権を認め、「復階及び復権之証」を公示したそうだ。
さすがに愚道や、真宗大谷派の髙木顕明のように顕彰碑こそ立てられていないけれど、こういう妙な正直さにはなんと反応していいか分からない。
幸徳秋水なんて興味がない、と言うのも、保身のためというより、ほんとにこういう小人だったのろうと思わせる。
ナチス追随の教会を否定して殺されたドイツのルター派の牧師ボンヘッファーや、軍部に追随する本山に耐えられず社会主義に身を投じて処刑された内山愚童らのほんものさ加減、というものが際立つくらいの効果はある。
そういえばこの論文(眞田芳憲『大逆事件と禅僧内山愚童の「仏教社会主義」とその行動の軌跡 ―禅僧愚童の抵抗の宗教的倫理と責任』―中央学術研究所紀要 第45号)には、ボンヘッファーの有名な言葉も引用されている。
「彼が捕らえられて獄中にあったある日、日課の散歩の折に、あるイタリア人か ら、『なぜあなたは、キリスト者であり、牧師でありながら、このような陰謀に加担 することができたのですか』と聞かれて、『もし誰かがクールフュルステンダムの通 りで自動車を駆って歩道に乗り上げたとしたら、私は牧師として、その暴走の犠牲 になった死者を葬り、その身内の人たちを慰めることができるだけではすまされま せん。もし私がその場に居あわせたならば、私はその自動車に飛び乗って、その人 間から自動車のハンドルを奪わなければならないのです』と答えたという。」
これは、思想と行動の関係を考える人にとって永遠の課題だ。
あまりにも気に入ったので、本の中にも引用することにした。
ボンヘッファーは、政治的にだけではなく、キリスト教という普遍主義の中で神学者としても「殉教者」としても広く認められている。
それに比べたら、愚童はいくら宗派内で復権されて顕彰されているといっても、住職だった箱根の曹洞宗林泉寺よりも遠くには、なかなか光が届かない。