日記 その7
2/15
今日は釈尊涅槃会だそうだ。曹洞宗ではその前に『遺教経』を読誦し、釈尊の御遺徳を偲ぶと禅僧のブログにあった。
戒を守ることで心の安定を得られれば解脱につながるという。
>>>若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ、諸善の功徳、皆な生ずることを得ず。是を以て当に知るべし、戒は第一安穏功徳の所住処たることを。
『仏垂般涅槃略説教誡経』、『大正蔵』巻12・1110c
という引用があった。
カトリックでも四旬節が始まったところで、復活祭に向けて、昔はラマダンのように本格的に断食するとか、肉を食べないとか、善行や苦行をするというのがあった。
「食べない」というのも本来は、いわゆる精進潔斎の他に、「食べない分を貧しい人に施す」という意味なので善行を積むのと同じだ。
でも、「善行」は、「戒」のような形にしないとなかなか果たせない。
「体にいいこと」でもよほど意志が強くないと続かないのと同じかもしれない。
戒を護ると諸善の功徳を生ずる、ともある。その善行がまた心の安定をもたらすのだ。
「心の安定」「禅定」「解脱」。
80歳で静かに涅槃に入ったお釈迦様の説得力ある言葉。
それに比べてキリスト教のキリストは若くして最悪の苦痛を与えられて殺されたし、自分でも血の涙を流して苦しんだ。
まあ、その後で復活したからこそキリスト教が生まれたのだけれど、復活祭の前はそのキリストの苦しみをみんなで追体験しなさい、みたいな雰囲気だ。
もともと苦しいとか痛いとかの状況にあって、「心の安定なんてとても無理」などという人にはこちらの方が救いがあるのかなあ。
いや、「心頭滅却すれば火もまた涼し」で、禅定に入ると天国や極楽に行けなくても苦しみなどなくなって救われる?
「心の安定」なんてこの世では無理かも。
この世で得られるのはいわゆる「動的平衡」で、人生はいつも、綱渡り?